天遊園老公あて書簡

黄s.jpg「天遊園老公」富岡敬明に宛てた梧竹の書簡、徳川家康の印を入手して、暫く無音に過した従兄の敬明にその印影を送ったものである。敬明・梧竹のこころの交流が書面にあふれている。

「天遊園老公あて書簡」 つづく

天遊園

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「天遊園」とは甲府市の富岡敬明邸庭園の名称である。この大作はまた梧竹の隷意をふくんだ楷書の一体を示していて、大きな磔法(天、遊、従、題のシンニョウ等の終画)が印象的である。これを石に刻んで建てることを考えていたのだと聞いている

「天遊園」 つづく

聖寿無窮 補説 蒼海・順徳院殿墓碑

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先週のブログのあとYさんが、「それはそんな説明するからそう思うのであって、つまりはコジツケじゃないか?という人がいますので」と。「その人は、ミドリ色みたら癒しを感じる、バラをみたら希望を思うなんてのもコジツケといいたいのでしょうか。ついでにいうと、素直でないのとニブイのとは用は似ているが体は異なります」なんて、私の解説も要領を得ないことになりました。

「聖寿無窮 補説 蒼海・順徳院殿墓碑」 つづく

聖寿無窮-(11月の幅)

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11月3日文化の日は憲法発布にちなんでの祝日、なぜか統計上晴天の日が多くて特異日とされているとか。明治の御代の空模様がどうだったのかは知らないが、この日は天長節といって天皇誕生日を祝う祝日だった。明治44年の夏、横浜の海老塚邸に滞在中の梧竹は、1年間を通じて毎月掛け替える12幅のセットをという的傳居士のもとめに応じて、いわゆる「神品12ヶ月」の幅をつくった。その11月の幅が、天長節を祝うこの「聖寿無窮」の1幅である。

「聖寿無窮-(11月の幅)」 つづく

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