山谷題跋

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壬午は明治15年、渡清5か月前の書。余元眉に識られて4年、いわゆる六朝書法をほとんど自由に駆使している。


「山谷題跋」 つづく

楊守敬との接点

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今回は、梧竹と楊守敬の接点に興味をもつ人のために、手がかりとなるデータをまとめておいた。図版は梧竹55歳、渡清1年前の書で、『余清齋帖』所収の『十七帖』につけられた郭祥正の題跋を臨書したもの、文中に「丙子歳仲冬月」とあるのは郭祥正が題跋を書いた年紀である。「辛巳重陽」とあるのが梧竹がこの小品を臨書した年紀で、明治14年9月9日のことである。

「楊守敬との接点」 つづく

楚公鐘銘臨書――臨書にこめる精神性

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85歳の臨書『楚公鐘銘』。もっと後にUPの心積もりだったが、先週の「桜岡公園」との関連で、ブログの流れからちょっとはずれるのだが、急遽登場ということになった。

「楚公鐘銘臨書――臨書にこめる精神性」 つづく

桜岡公園----時代を跳び越えるモダンな篆書

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「さくらおか・こうえん」のモダンな文字、これを書いたのはいつのこと? 134年もむかしの1875年、武士の意地を捨てずに刀を腰に手挟んで歩く人もいた時代だ。今だったら、もっとモダンな文字が書けるんでしょうか?

「桜岡公園----時代を跳び越えるモダンな篆書」 つづく

破滅に瀕した12幅

1字S.jpg6月11日のブログに、「梧竹の章法は構図・構成などといった方が分かりやすい。‥‥12枚の順序を間違えたりすると章法はめちゃめちゃに破壊される。(そんな被害作が少なからず出回っている)」と書いた。時を同じくして京都からとどいた分厚い資料目録の1ページが、入梅と重なって私の気分を重くした。

「破滅に瀕した12幅」 つづく

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