第17回 初世 中村蘭台

別府史風
連載の17回目は今までに採り上げていない篆刻界に目をむけ、近代日本の印人を代表する初世中村蘭台を採り上げます。

初世中村蘭台は安政3年1月に、福島県の会津若松で会津藩士の子として生まれました。男三人兄弟の末子で、名を稲吉といい、号は蘭台のほか蘇香、香草居主人などを使っています。
蘭台は20歳を過ぎた頃から篆刻に興味を持ち、初め高田緑雲(文政9~明治31)から教えを受け、のち明清の諸家のものを学びましたが、明治23年頃から徐三庚に心酔し作風が一変します。その後、さらに秦漢古印、鐘鼎文、瓦磚文や浙派の研究を深め、蘭台独自の刻風を打ち立て多彩な作品を数多く遺しました。そして明治35年と43年に、二度にわたって脳充血が発病し、身体の自由が奪われますが、その影響がかえって作品に深みを加えていきます。しかし大正4年11月ついに脳溢血で59歳の生涯を閉じることになります。中村家は子の中村蘭台二世と孫の中村淳(平成17年12月逝去)の三代続いた篆刻一家です。尚、中村蘭台二世は名前が秋作であったことから初世と混同されないよう落款を蘭台秋としています。

篆刻というと石に刻すのが普通ですが、蘭台は、特に木印を好み、その鈕を刻したり、更に木額や欄間、印盒、筆筒、香筒、煙管入、香合、茶托、菓子鉢などの工芸の分野にも篆刻の枠を広げました。遺された作品を見るとその名人芸に圧倒されます。蘭台について知りたい方は、昨年9月茨城県古河市にある篆刻美術館で開催された「初世中村蘭台展」の図録を参照されるとよいでしょう。

画像Ⅰは明治36年5月に描かれた「蘭台翁帰去来印譜帖」の一部で、描印されたものです。「描印」とは朱墨で印影のように描いたものです。実際これを最初に見た時、押印されたものとばかり思っていましたが、よく見ると朱の色にムラがあるところがあり、はじめて描いたものだと気づいた次第です。白文も朱文も刻された文字そのもので、細部にも実によく神経が行き届いています。蘭台以後の人でこのような「描印」を残した人は誰もいません。正に脱帽です。
上記の図録にこれと全く同時期に描かれた帰去来辞の描印屏風が掲載されています。

画像Ⅱは蘭台の書作品です。癸卯(明治36年)秋9月に山梨県の韮崎で書かれたものです。最初に脳充血で倒れたのが明治35年ですから、まだ運筆にその影響があるように思われますが、蘭台独自の味わいのある書線がなんともいえません。

画像Ⅲは二度目に倒れた後の作品と思われます。画像Ⅱと比べるとさらに運筆が不自然で、かなり不自由な状態だったのではないでしょうか。しかしこの作品の中にはどこか人を惹きつける力が宿っているようです。

今までに蘭台の篆刻印を市場でみかけたことがありません。今回、印人を採り上げたにもかかわらず、篆刻印を紹介できなかったことは誠に残念です。

雪下庵主
http://www.yukinoshita.jp

画像Ⅰ
画像Ⅱ
画像Ⅲ
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