みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第27回 冬景色:静謐・雪・雪景色・冬の旅・菩提樹・烏・寒雀・千鳥・椿

「泉鏡花集」を開くみや

 
20.1.21東京都清瀬市


1 静謐の朝

  今年の大寒は1月21日でした。ちょうどそのころになって関東にも白く積もる雪が降りました。雪はいっときで消えてしまいましたが、 冷えて引き締まった寒さが続いています。木の虚(うろ)に、地の中に、また水の底に眠って過ごす生き物もある冬という季節、 たまたま風の絶えた穏やかな時の静けさは、ほかの季節とは較べものになりません。静謐こそが冬の大きな魅力です。


  さ霧消ゆる湊江[みなとえ]の
  舟に白し、朝の霜。
  ただ水鳥の聲はして、
  いまだ覚めず、岸の家。

  烏[からす]鳴きて木に高く、
  人は畑[はた]に麦[むぎ]を踏む。
  げに小春日[こはるび]ののどけしや。
  かへり咲[ざき]の花も見ゆ。

  嵐吹きて雲は落ち、
  時雨[しぐれ]降りて日は暮れぬ。
  若[も]し燈[ともしび]のもれ来[こ]ずば、
  それと分[わ]かじ、野辺の里。

  唱歌「冬景色」は大正2年(1913)、『尋常小学唱歌(五)』に発表された歌です。一番が水辺の早朝、二番が田園の昼、三番が里の夜を歌います。

  あたりをぼんやりと白く覆う水蒸気を、春は「霞」、秋冬は「霧」と呼ぶのが『万葉集』以来の文学の習わしです。
一番の冒頭「さぎりきゆるみなとえ」は、その霧がゆっくり晴れてゆく早い朝の情景ですが、目に浮かぶ淡い朝日の中の海辺の景色と歌の言葉の美しさは、 たちまちに人をこの歌に引き込みます。まことに静かな美しさです。

 

2 冬の旅

   泉に沿ひて 繁る菩提樹
   慕ひゆきては うまし夢見つ
   幹には彫[ゑ]りぬ ゆかし言葉
   うれし悲しに 訪[と]ひしそのかげ

   今日[けふ]もよぎりぬ 暗き小夜中[さよなか]
   真闇[まやみ]に立ちて 眼[まなこ]とづれば
   枝はそよぎて 語るごとし
   「来[こ]よ いとし侶[とも] ここに幸[さち]あり」
             (「菩提樹」 訳詞 近藤朔風 より)

  近藤朔風の訳詩「泉に沿ひて繁る菩提樹」で広く知られる「菩提樹」は、フランツ・シューベルトの連作歌曲集「冬の旅(Winterreise)」(1827)の中の一曲です。「冬の旅」はドイツの詩人ヴィルヘルム・ミュラーの詩集にシューベルトが曲を付けたもので、2部に分かれ、24の歌曲からなります。その第1部の5曲目に、もとの「菩提樹(Der Lindenbaum)」はあります。

  ミュラーの詩集「冬の旅」は恋を失った若者のあてのない彷徨(ほうこう)を冬のわびしく厳しい空気の中に歌います。そこには絶望と悲しみ、失恋の傷みになぜか必ず添ってくる疎外感、そして、すでに失われてしまったもの、もう決して手に入らないものへの憧れが満ちていると言います。「菩提樹」はその心の旅の途中で若者を誘う安らぎの象徴のように、また裏返しに不安の暗示のような存在として歌われます。原詩と近藤朔風の訳詞とは実は内容がかなり異なるので、日本人歌手は原詩で歌う時と、よく知られた日本語訳詩で歌う時とに、少なからぬとまどいがあると聞きました。同じメロディーの別の歌として歌うという割り切り方をする人も多いようです。興味のある方はミュラー詩の日本語訳と対照して御覧下さい。

  曲を付けたシューベルトは悲しい心に敏感な、とりわけやさしい人であったのではないかと想像されます。数多く残された歌曲は、何と切ない、何とやさしいと感じられる歌に真骨頂があるように聴こえます。「冬の旅」が、いわゆる三大歌曲集(「美しき水車小屋の娘」「冬の旅」「白鳥の歌」)の中でもひときわ人気が高いというのも、そもそもこの歌集のテーマがシューベルトの作風を活かすのに合っているのだろうと思われます。冬という季節の激しさ、厳しさ、また寂しさ、譬えようもない静けさは、非常に繊細な感情を託すのにふさわしい舞台です。

 
歌曲集「冬の旅」表紙

3  寂として声無し

  冬は休眠の時期に当たり、草木の花も少なく、詩歌に現れる動物も限られています。その中で目に付くのは烏、雀、千鳥といった、 四季に渡って身辺に見る鳥の姿です。枯れ木に烏はよく絵の題材にもなります。中国では雀は身近すぎるせいか、譬えば「燕雀安(いづ)くんぞ 鴻鵠の志を知らんや」(「史記」陳渉世家)などと用いられるように、取るに足らないものとあしらわれることが多い小鳥ですが、冬になると俄然注目を 浴びるようになります。
  宋代の詩にこんな七言絶句があります。

  百千寒雀下空庭
  小集梅梢話晩晴
  特地作団喧殺我
  忽然驚散寂無声
   百千の寒雀[かんじやく]空庭[くうてい]に下[くだ]り
   梅の梢[こずゑ]に小集して晩晴[ばんせい]に話[わ]す
   特地[とくち]に団を作[な]して我を喧殺[けんさつ]せしも
   忽然驚き散じて寂として声無し
    (たくさんの冬の雀が誰もゐない庭に下りてきて、
    梅の梢にちよつと集まつては夕暮れの晴れ間をたのしんで
                       さえづっている。
    ことさらに群れをなしては私をうるさがらせるけれど、
    突然、何に驚いたか飛び散ってしまうと、
                あとはひっそりとして声もない。)

  雀の大集団のにぎやかな囀りが容易に想像できるだけに、飛び去った後のしんとした静寂が強く印象的です。いったいに静かな冴えた空気の中で、
鳥の声もほかの季節とは違う鮮やかさで響くようです。

 
20.1.23 東京都清瀬市

  我が家の庭にも雀や尾長が来ては遊んでゆきます。雪の降った先月23日の朝は、浅く積もった雪の上に可愛い足跡がたくさん残っていました。 囀るのは朝と夕暮れ。昼日中は声を聞くことが少ないように思われます。若い猫の会(会員2名ですが)の皆さんは、 わるさを制する家族の声は聞こえないことがあるようですが、小鳥の声には敏感です。窓際に寄り、その時ばかりは室内の大運動会を止めて、 並んで無心に雀を見ています。二人とも小さな声で「カカカ」とか「エエエ」とか囁きながら眺めているのは、話しかけているつもりなのか、 嬉しくて思わず声が出てしまうのか、この発声の意味は謎です。

  2月4日が立春です。陽の光に、草木の息づかいに、間もなく春の兆しが見えてくるでしょう。残り少なくなりましたこの季節の魅力を満喫して 春を迎えましょう。
(20.2.1)

 
20.1月 東京都清瀬市柳瀬川


【文例】

[漢文]

・寒雀  宋 楊万里

百千寒雀下空庭
小集梅梢話晩晴
特地作団喧殺我
忽然驚散寂無声
  百千の寒雀空庭に下[くだ]り
  梅の梢[こずえ]に小集して晩晴[ばんせい]に話す
  特地[とくち]に団を作[な]して我を喧殺[けんさつ]せしも
  忽然驚き散じて寂として声無し
 ◎特地[とくち]に団を作[な]して:わざわざ群をなして


・歳寒図  清 ウン*格  *は立心偏に「軍」字

寒花還与歳寒期
夜起移燈看雪時
未許東風到桃柳
山茶先発近窓枝
  寒花[かんか]還[かへ]つて歳寒[さいかん]と期す
  夜起きて燈を移し雪を看る時
  未だ東風の桃柳に到るを許さず
  山茶[さんちや]先[ま]づ窓に近き枝に発[ひら]く
 ◎山茶:椿のこと。葉が茶に似ていることから来る呼び名。


・冬夜

一盞寒燈雲外夜
数盃温酎雪中春
  一盞[いつさん]の寒燈[かんとう]は雲外[うんぐわい]の夜
  数盃の温酎[うんちう]は雪の中[うち]の春
 ◎一盞:一皿
 ◎温酎:温めた酒
    『和漢朗詠集』356白居易

 
 
「わかんない」

[和歌]

・道にあひて咲[ゑ]まししからに
 降る雪の消[け]なば消[け]ぬがに恋ふとふ吾妹[わぎも]
    聖武天皇『万葉集』687


・わが背子[せこ]とふたり見ませばいくばくか
 此の降る雪のうれしからまし
    光明皇后『万葉集』1658


・降る雪は消えでもしばし止まらなむ
 花も紅葉[もみぢ]も枝になきころ
    詠み人知らず『後撰和歌集』493


・思ひかね妹がりゆけば
 冬の夜の川風さむみ千鳥なくなり
    紀貫之『拾遺和歌集』224


・日を寒み氷[こほり]もとけぬ池水[いけみづ]や
 うへはつれなく深きわが恋
    源順『源順集』冬


・風さゆるとしまが磯のむらちどり
 立居[たちゐ]は波の心なりけり
    正三位季経『新古今和歌集』651

 

[散文]

・冬はつとめて[=早朝](がよい)。雪の降りたるはいふべきにもあらず、霜のいと白きも、またさらでもいと寒きに、火などいそぎおこして、 炭もてわたるもいとつきづきし。
    『枕草子』1段


・雪ただいささかづつうち散りて、道の空さへ艶なり。
    『源氏物語』行幸
 

[訳詞・近現代詩]

・菩提樹   訳詩 近藤朔風

 泉に沿ひて 繁る菩提樹
 慕ひゆきては うまし夢見つ
 幹には彫[ゑ]りぬ ゆかし言葉
 うれし悲しに 訪[と]ひしそのかげ
 
 今日[けふ]もよぎりぬ 暗き小夜中[さよなか]
 真闇[まやみ]に立ちて 眼[まなこ]とづれば
 枝はそよぎて 語るごとし
 「来[こ]よ いとし侶[とも] ここに幸[さち]あり」
 
 面[おも]をかすめて 吹く風寒く
 笠[かさ]は飛べども 棄[す]てて急ぎぬ
 
 はるか離[さか]りて 佇[たたず]まへば
 なほも聞ゆる「ここに幸あり」
 
 はるか離りて 佇まへば
 なほも聞こゆる「ここに幸あり」
        「ここに幸あり」
    『女声唱歌』明治42年(1909).11月
 


・浜千鳥  鹿島鳴秋

  青い月夜の 浜辺には
  親を探して 鳴く鳥が
  波の国から 生まれ出る
  濡れた翼[つばさ]の 銀の色

  夜鳴く鳥の 悲しさは
  親を訊ねて 海こえて
  月夜の国へ 消えてゆく
  銀の翼の 浜千鳥
          昭和7年(1932)

 


[唱歌・童謡]

・雪

  雪やこんこ、霰[あられ]やこんこ。
  降つては降つては、
  ずんずん積る。
  山も野原も綿帽子[わたばうし]かぶり、
  枯木[かれき]残らず花が咲く。

  雪やこんこ、霰やこんこ。
  降つても降つても、まだ降りやまぬ。
  犬は喜び庭[には]駆けまはり、
  猫は火燵[こたつ]でまるくなる。

    『尋常小学唱歌 第二学年用』明治44年(1911)

 
室内が寒くないと、寝る時もこんなです。

・冬の夜  文部省唱歌

  燈火[ともしび]ちかく衣[きぬ]縫ふ母は
  春の遊[あそび]の楽しさ語る。
  居並[ゐなら]ぶ子どもは指を折[を]りつつ、
  日数[かず]かぞへて喜び勇む。
  囲爐裏(ゐろり)火はとろとろ、外は吹雪[ふぶき]。

  囲爐裏のはたに繩[なは]なふ父は
  過ぎしいくさの手柄を語る。
  居並ぶ子どもはねむさ忘れて、
  耳を傾け、こぶしを握る。
  囲爐裏火はとろとろ、外は吹雪。

    『尋常小学唱歌 第三学年用』明治45年(1912)

◎2番「過ぎしいくさの手柄を語る」の部分は、太平洋戦争後「過ぎし昔の思いで語る」と改変。2番は歌意が通らなくなった。


・椿  永井花水

 お山のお山の
 尼寺に尼寺に
 白い椿が
 咲いたとさ 咲いたとさ
 
 ポクポク木魚を
 打つたびに 打つたびに
 白い椿が
 散つたとさ 散つたとさ
2 
 ふもとのふもとの
 水車場に水車場に
 赤い椿が
 咲いたとさ 咲いたとさ
 
 ゴトゴト水車が
 まはるたびまはるたび
 赤い椿が
 散つたとさ 散つたとさ

 


    ひたちはみやと一緒に寝たいのですが、つい調子に乗ってやたら抱きつこうとするのでみやは警戒しています。
    今のところ許容範囲はこのくらいまで。

・冬景色  文部省唱歌

  さ霧消ゆる湊江[みなとえ]の
  舟に白し、朝の霜。
  ただ水鳥の声はして、
  いまだ覚めず、岸の家。

  烏[からす]鳴きて木に高く、
  人は畑[はた]に麦を踏む。
  げに小春日[こはるび]ののどけしや。
  かへり咲[ざき]の花も見ゆ。

  嵐吹きて雲は落ち、
  時雨[しぐれ]降りて日は暮れぬ。
  若[も]し燈[ともしび]のもれ来[こ]ずば、
  それと分[わ]かじ、野辺の里。
    『尋常小学唱歌(五)』大正2年(1913)


・おおさむこさむ  わらべうた

  おおさむこさむ
  山から小僧(こぞう)が
  泣いてきた
  なんといって泣いてきた
  なんといって泣いてきた
  寒いといって泣いてきた


・春よ来い  相馬御風

  春よ来い 早く来い
  あるきはじめた みいちやんが
  赤い鼻緒[はなを]の じよじよはいて
  おんもへ出たいと 待つてゐる

  春よ来い 早く来い
  おうちのまへの 桃の木の
  蕾もみんな ふくらんで
  はよ咲きたいと 待つてゐる
    『木かげ』大正12年(1923)
 ◎じよじよ:草履の幼児語
 
 
 

    眠くなった時のひたちのチュクチュクはまだ続いています。
    吸い付きながら左右の掌を交互にニキニキ開いたり閉じたりするのは
    おっぱいを飲む動作と知られています。大きさはみやに迫って来まし
    たが、中身はまだ幼いのだなとよく分かります。
    しぐさは可愛いのですが、このニキニキは爪をむき出すので、吸われ
    ている手がちくちくします。この爪と、吸われることとで家族の手が
    すっかり荒れてしまいました。早くひとりで寝られるようになります
    ように。




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