みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第22回 美しい日本2:紅葉・落葉・枯葉・菊・晩秋

「泉鏡花集」を開くみや

19.11.13 東京都清瀬市

1 美しい私たちの日本(2)


  今年は紅葉が遅いと言われていましたが、いつの間にかあたりはすっかり木の葉も色づき、街の歩道を歩いていても足下には落ち葉が吹き寄せられてきます。空は一層高くなり、秋もたけなわの様相となりました。

    この明るさのなかへ
    ひとつの素朴な琴[こと]をおけば
    秋の美しさに耐へかね
    琴はしづかに鳴りいだすだらう
       (「素朴な琴」八木重吉)

  秋にもみじする木々は落葉樹で、紅葉は冬枯れに向かう姿に違いないのですが、赤や黄色の、それもさまざまに色相の違う木の葉が重なりあい、緑の木々とも混ざっている景色は実に鮮やかで、むしろ圧倒的な活力さえ感じさせます。ことによく晴れた日、明るい光に照り輝く秋の自然はまさに秋の錦です。

  日本の地理と気象とは植物が紅葉するに絶好の条件を叶えているので、国内各地に紅葉の名所があり、この季節は世界的な観光地になっています。比較的親しく文化を交流して来た国でも、たとえば台湾には、紅葉という現象が起きません。ですから、視界全体の色がそれまでとは変わって見える紅葉の季節は台湾のような国の人にとっては衝撃的なもののようです。ある留学生は、「この世の終わりかと思った、あまりの美しさに」と初めての秋の驚きを話してくれました。わざわざ混雑した嵐山や日光へ出向かなくても、この奇跡のような現象はほぼ日本中で見ることができるのです。


19.11.3 新座市平林寺

2 黄葉と紅葉
  日本の詩歌をさかのぼって見ると、昔は紅葉というのは秋の時雨(しぐれ)の時期がやってきて、冷たい露が木々の葉の色を変えるものだと考えられていたようです。

  白露の色はひとつを いかにして秋の木の葉を千々[ちぢ]に染むらむ
(白露の色は一色なのに、どうしてそれが秋の木の葉を色とりどりに染め
るのだろうか)  『古今和歌集』257藤原敏行

などと詠まれているのはそれをよく表しています。露はきれいな露の意味で「白露」と表されました。それをそのまま本当の色扱いをして詠んだものですが、『古今和歌集』ではこの歌のすぐ隣にこんな歌を並べています。

  秋の露色ことごとに置けばこそ 山の木の葉の千種[ちぐさ]なるらめ
(秋の露が色とりどりに置くからこそ、染められる山の木の葉はさまざまに
もみぢするのでしょう)  『古今和歌集』258詠み人知らず

こちらの方は、紅葉が多彩であるという現実から遡って、葉を染める露そのものの色がとりどりであるから紅葉にさまざまな色の違いがあるのだと合理化しているのです。
およそ陰暦の11月(霜月:今年のカレンダー上で見ると12月10日が霜月朔日になります)が時雨の月とされましたが、紅葉現象は、地域差はあるとしても、全体にこれよりは実際には早く起きています。


19.11.3 新座市平林寺

  紅葉(もみじ)というとカエデ類の赤い葉がまず思い浮かび、「紅葉」と表記するのも見慣れておりますが、『万葉集』では僅かな例外を除いて「もみぢ」は「黄葉」と表していました。実際、秋の野原で鹿と詠み併せられる歌が多かった萩などは変色して黄色にはなっても赤くはなりません。柞(ははそ・「母」に掛かる枕詞「ははそばの(柞・葉・の)」のハハソ)や山に多い栗・櫟(くぬぎ)も、黄色もみじでそのまま茶色に移り、落葉します。古代では「もみぢ」というと身の回りに見る黄色く変色した葉をいうことが多く、表記もその現実をなぞって「黄葉(もみぢ)」とするのが普通だったのでしょう。それでは赤い「もみぢ」が一般化するのはいつの頃からかというと、どうやら『白氏文集』の影響が広く及んで後のことのようです。従って、おおまかには意識も表記も奈良時代までは「黄葉(もみぢ)」、平安時代になってからが「紅葉(もみぢ)」、と言ってよいかと思われます。


19.11.3 新座市平林寺

3 流れる紅葉
  もみじが赤いもの(紅葉)になると、歌も明らかに鮮やかな赤のイメージが詠まれるようになります。

    ちはやぶる神代[かみよ]も聞かず龍田川[たつたがは] 唐[から]くれなゐに水[みづ]くくるとは (不思議なことが多かったという神々の時代の話にもこんなことは聞いた ことがない。龍田川が深紅の色に水を括り染めにするなどということは) 『古今和歌集』294在原業平
  唐紅は韓紅とも書き、大陸渡来の紅を意味して、単に紅(くれなゐ)と言う時よりも濃い紅色を表します。渡来品の強烈な赤を、日本の紅花染めのほんのりしたくれなゐと区別して呼んだものです。従来のくれなゐという色は紅花の染料に一回浸けたただけの一入[ひとしほ]のものはごく淡いピンクです。何度も浸して濃くすることを「八入[やしほ]に染める」と表現したりしました。何度でも染料に浸けて濃くしてゆくのですが、その濃淡すべてくれなゐと表すので実際の色彩としては幅がありました。唐紅と言ってはじめて強烈な赤が決定されるのです。
業平の歌を『古今集仮名序』で紀貫之は「情(こころ)余りて詞(ことば)足らず」と評しました。希代の詩人の見るとおり、業平の歌はどちらかといえば余情の勝った、それに対して詠まれている実態のやや薄い感じの歌が多いと思われます。しかし、この歌についてはむしろ視覚的にありありとした豪華絢爛の秋景色です。逆に余情も何も、あらわすぎる美しさという気もします。この歌が実景ではなく新調の屏風絵に詠んだ歌であるところが、何か関係しているのかも知れません。同じ時に、同じ屏風を詠んだ素性の歌があります。

  もみぢ葉の流れて泊まる湊にはくれなゐ深き波や立つらむ
(もみぢ葉の流れて行きつくところでは、おびただしい木の葉で海の入り
口にきっと紅の色深い波が立っていることだろう)『古今和歌集』293

  同じ絵柄が詠まれていることを思うと、二つの歌の詠みぶりの違いはまさに歌人の個性なのでしょう。
余談ですが、この新調の屏風の主は二条后(にじょうのきさき)の名で知られた藤原高子(たかいこ・藤原長良女、関白基経妹、清和天皇女御)。『伊勢物語』四段に、業平との痛切な悲恋が残るその人です。「月やあらぬ春や昔の春ならぬ我が身ひとつはもとの身にして」というこの段の一首は「情(こころ)余りて詞(ことば)足ら」ない在原業平のまことに業平らしい絶唱です。この屏風歌が詠まれた時、『古今和歌集』の詞書きによれば、高子は春宮の女御と呼ばれていました。清和天皇に入内し、儲けた皇子が皇太子の地位にあったことを意味します。業平との恋は遠い昔のことになっていました。

【文例】

[漢文]

・不堪紅葉青苔地
 又是涼風暮雨天
   堪[た]へず紅葉[こうえふ]青苔[せいたい]の地[ち]
   又[また]これ涼風[りやうふう]暮雨[ぼう]の天[てん]
    『和漢朗詠集』301 白居易

・洞中清浅瑠璃水
 庭上蕭条錦繍林
   洞中[とうちゆう]は清浅[せいせん]たり瑠璃[るり]の水[みづ]
   庭上[ていじやう]蕭条[せうでう)]たり錦繍[きんしう]の林
   『和漢朗詠集』303 慶滋保胤


19.11.13 東京都 小石川植物園

・逐夜光多呉苑月
 毎朝声少漢林風。
  夜[よ]を逐[お]ひて光多[おほ]し呉苑[ごゑん]の月[つき]
  朝[あした]ごとに声[こゑ]少[すくな]し漢林[かんりん]の風
   『和漢朗詠集』317 後中書王具平親王「秋葉随月落」より

・碧玉装筝斜立柱
 青苔色紙数行書
  碧玉[へきぎよく]の装[よそほ]へる筝[しやうのこと]は
      斜[ななめ]に立てたる柱[ことぢ]
  青苔[せいたい]の色の紙には数行[すうかう]の書[しよ]
   『和漢朗詠集』322 菅原道真
  ◎深い青空を雁が列をなして飛ぶ姿を詠んだもの


19.11.12 東京都清瀬市

[和歌]

・露ながら折[を]りてかざさむ菊の花
 老[お]いせぬ秋の久しかるべく
 『古今和歌集』270紀友則

・秋は来ぬ紅葉[もみぢ]は宿に降り敷きぬ
 道踏みわけて訪[と]ふ人はなし
 『古今和歌集』287詠み人知らず

・白露の色はひとつを いかにして
 秋の木の葉を千々[ちぢ]に染むらむ
 『古今和歌集』257藤原敏行

・秋の露色ことごとに置けばこそ
 山の木の葉の千種[ちぐさ]なるらめ
 『古今和歌集』258詠み人知らず

・もみぢ葉の流れて泊まる湊[みなと]には
 くれなゐ深き波や立つらむ
  『古今和歌集』293素性

・ちはやぶる神代[かみよ]も聞かず龍田川[たつたがは]
 唐[から]くれなゐに水[みづ]くくるとは
 『古今和歌集』294在原業平

・ 道知らばたづねも行かむもみぢ葉を
 幣[ぬさ]と手向[たむ]けて秋は去[い]にけり
 『古今和歌集』313凡河内躬恒

・ 金色[こんじき]のちひさき鳥のかたちして
 銀杏[いてふ]ちるなり夕日[ゆふひ]の岡[をか]に
  与謝野晶子


19.11.13 東京都清瀬市

[近現代詩・訳詞]

・落葉  ポオル・ヴェルレエヌ
     訳 上田敏「海潮音」

 秋の日の
 ヴィオロンの
 ためいきの
 身にしみて
 ひたぶるに
 うら悲し。

 鐘のおとに
 胸ふたぎ
 色かへて
 涙ぐむ
 過ぎし日の
 おもひでや。

 げにわれは
 うらぶれて
 ここかしこ
 さだめなく
 とび散らふ
 落葉かな。


19.11.13 東京都清瀬市

・木  八木重吉『貧しき信徒』

 はつきりと
 もう秋だなとおもふころは
 色々なものが好きになつてくる
 あかるい日なぞ
 大きな木のそばへ行つていたいきがする



19.11.13 東京都清瀬市

・素朴な琴  八木重吉

 この明るさのなかへ
 ひとつの素朴な琴をおけば
 秋の美しさに耐へかね
 琴はしづかに鳴りいだすだらう

・もみぢ葉  佐藤春夫『車塵集』

     日暮風吹
     落葉依枝
     寸心丹意
     愁君未知
      青渓小姑
 日はくれ風ふき
 枝に葉は落つ
 もゆる思ひは
 君に知られず



19.11.13 東京都清瀬市

[唱歌・童謡]

・庭の千草『小学唱歌集(三)』明治17年
               作詩 里見義
1 庭の千草も むしのねも
  かれてさびしく なりにけり
  ああしらぎく 嗚呼白菊
  ひとりおくれて さきにけり

2 露にたわむや 菊の花
  しもにおごるや きくの花
  ああ あはれあはれ ああ白菊
  人のみさをも かくてこそ

・秋景『小学唱歌』明治26年
              作詩 阿保暫庵
1 見わたす野辺の 秋景色
  なな草千草 花咲きみだれ
  吹く風かをりておく霜にほふ
  見わたす野辺の 秋景色

2 見わたす山の 秋景色
  高嶺は風にもみぢを散らし
  ふもとは照る日に木の実をさらす
  見わたす山の 秋景色



19.11.3 新座市平林寺
・紅葉『尋常小学唱歌(二)』明治44年

1 秋の夕陽に照る山紅葉
  濃いも薄いも数ある中に
  松をいろどる楓や蔦は
  山のふもとの裾模様

2 谷の流れに散り浮く紅葉
  波にゆられて離れて寄つて
  赤や黄色の色様々に
  水の上にも織る錦



19.11.13 東京都小石川植物園

・菊の花『うたのほん』昭和16年

1 きれいな花よ
  菊の花
  白や黄色の
  菊の花

2 けだかい花よ
  菊の花
  あふぐごもんの
  菊の花

3 日本の秋を
  かざる花
  きよいかをりの
  菊の花

・ 野菊『文部省唱歌』昭和17年
   作詩 石森延男
1 遠い山から吹いてくる
  こ寒い風に揺れながら、
  けだかく、きよくにほふ花。
  きれいな野菊、
  うすむらさきよ。

2 秋の日ざしをあびてとぶ
  とんぼをかろくやすませて、
  しづかに咲いた野辺の花。
  やさしい野菊、
  うすむらさきよ。

3 しもがおりてもまけないで、
  野原や山にむれて咲き、
  秋のなごりををしむ花。
  あかるい野菊、
  うすむらさきよ。



19.11.13 東京都清瀬市

・かやの木山の  北原白秋

 かやの木山の
 かやの実は
 いつかこぼれて
 ひろはれて

 山家のお婆さは
 ゐろり端
 粗朶[そだ]たき、柴たき
 灯りつけ。

 かやの実、 かやの実、
 それ、爆[は]ぜた。
 今夜も雨だろ、
 もう寝よよ。
 お猿が啼くだで、
 早よお寝よ。

・どんぐりころころ  『かわいい唱歌』大正10年
          作詩 青木存義
     ◎表記は「日本唱歌全集」(音楽之友社)の通り。
1 どんぐりころころ ドンブリコ
  お池にはまって さあたいへん
  どじょうが出て来て 今日は
  坊ちゃん一緒に 遊びましょう

2 どんぐりころころ よろこんで
  しばらく一緒に 遊んだが
  やっぱりお山が 恋しいと
  泣いてはどじょうを 困らせた


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