みやと探す・作品に書きたい四季の言葉

連載

第7回 花の季節:桜

「泉鏡花集」を開くみや

1 花といえば

 

花  武島羽衣(『四季』明治33[1900]・11)
 1
  春のうららの隅田川
  のぼりくだりの船人が
  櫂[かひ]のしづくも花と散る
  ながめを何にたとふべき
 2
  見ずやあけぼの露浴びて
  われにもの言ふ桜木を
  見ずや夕暮れ手をのべて
  われさしまねく青柳[あをやぎ]を
 3
  錦織[を]りなす長堤[ちやうてい]に
  暮るればのぼるおぼろ月
  げに一刻も千金の
  ながめを何にたとふべき

  暖かい日が続き、草木の春を急かせるようです。我が国の春といえば花は桜。いよいよ桜の季節になりました。
  日本人が桜を至上の花とした起源は古代、記紀の時代以前にさかのぼります。記紀の神話に美しく理想的な女性として語られる木花之佐久夜毘売(コノハナノサクヤヒメ)は富士山の浅間神社の祭神ですが、桜神でもあり、伝説にこの女神が富士の頂から種を蒔いたのが国中の桜の起源であるといいます。それとは別に、神名研究にも、サクヤはサクラの転じたもの(古典語にはラ行音がヤ行音に転訛することは珍しくない)、コノハナ(木花)も広く樹木の花一般を表すような表現でありながら実は限定的に桜を指しているとする説があります。少なくとも平安時代には、「花」といえば普通は春の桜を意味するようになるのです。在原業平の賛嘆「世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし」(『古今和歌集』53)は、古典離れした今日にも桜の季節にはよく引かれる歌で、この花が負ってきた日本人の愛着の歴史を思い起こさせます。新古今時代の詩人西行の辞世は「願はくは花の下にて春死なむ この如月(きさらぎ)の望月のころ」(『山家集』)というものでしたが、西行の命日が実にこの年の2月(如月)16日になったことと併せ見れば、毎年同じように咲く何心もない桜の花が、なんとも劇的な景物となって今の私たちの心にも届きます。幾多の世を経、その間にはあまたの美麗な輸入植物を迎えても、桜はほかの花に代わられることなく特別な位置を保ち続けて今日に至りました。どの時代を訪ねても、春には桜を謳う美しい詩文が満ちています。

  始めにご紹介した「花」はこの季節の定番のようですが、すでに百年以上も歌い継がれてきた歌です。隅田川河畔のはれやかな景色が目に見えるようですが、作詞家武島羽衣はおそらく近世の漢詩に謳われた桜、また『源氏物語』の一節なども胸にとどめてこの詩を作ったものと想像されます。

  春の日のうららにさしてゆく舟は 棹[さを]のしづくも花と散りける

この歌などは、「花」の歌詞に実に似ているとは思われませんか。『源氏物語』の胡蝶の巻、それは華やかな春の遊宴を綴った巻ですが、そこで一人の女房が詠んだ和歌です。みやが開いているのはそれを採録した『源氏物語』の墨場必携です。同じような場面に偶然同じ表現が選ばれるということもないわけではありません。いずれにせよ、光のどかな水辺の桜に11世紀初頭の作家と九百年後の詩人が同じ想で歌を作っているのは面白い事実です。私たちの意識における桜の一種普遍的な地位が、それを無理なく実現させているような気がします。

2 日本の花
  桜が詩歌に登場するのは年代がはっきり分かっているものでは『懐風藻』からです。我が国最古の漢詩集『懐風藻』(天平勝宝3年(751)成立・近江朝から奈良朝の間の詩約120編を収録)、その時代といえば、詩は中国の作詩作法に倣って、題材も隋唐の詩にあるものが採られ、春の花には主として梅、次いで桃李が詠まれました。ところで中国の詩には桜を詠んだものがありません。中国でも詩に「桜」字はないことはありませんが、そこでいう「桜」はユスラウメのこと。日本人が知る「桜」ではないのです。お手本を中国詩に求めて始めて編んだ『懐風藻』でしたが、日本人はこの記念すべき第一漢詩集に桜を入れずには落ち着かなかったのではないでしょうか、これだけは隋唐を参考にすることもせずに、独自に詠んだ桜の詩を二首入れたのでした。その一つをご紹介しましょう。作者の長屋王は日本史に悲劇的な運命(藤原氏の他氏排斥の顕著な例)を知られる人物ですが、詩の世界に優雅な名として残ったのは幸いです。

   初春於作宝楼置酒  長屋王
     景麗金谷室
     年開積草春
     松烟双吐翠
     桜柳分含新
     嶺高闇雲路
     魚驚乱藻浜
     激泉移舞袖
     流声韵松[*イン] *は竹冠に「均」字

     景は麗[きよら]なり金谷[きんこく]の室
     年は開く積草の春を
     松と烟[かすみ]と双つながら翠を吐き
     桜と柳と分きて新[わか]きを含[ふふ]めり
     嶺は高くして雲の路に闇[くら]く
     魚は驚きて藻の浜[ほとり]に乱[ち]らふ
     激泉に舞[まひ]の袖を移(映)しゆけば
     流声は松と[*たけ]とに韵[ひび]けり

桜と柳とはこの時代に続く平安京の美しさを歌ったあの歌にもありました。

  見わたせば やなぎさくらをこき混ぜて都ぞ春の錦なりける
  素性『古今和歌集』56

柔らかく芽吹いた柳のあさみどり、桜花のうすくれない、そのあさみどりとうすくれないとが無数に入り組んでモザイクのように配された都の遠景を春の錦と讃えたのです。いかにも春らしいパステルカラーの景色です。この配色は、はるか下って明治の作品「花」においても「錦織りなす長堤」の錦として、やはり桜と柳がともに歌われています。もちろん作者武島羽衣の古典の素養による取り合わせではありますが、日本人は古来このようなあっさりとしたやさしい淡彩が好みだったのではないでしょうか。


柳瀬川河畔19/3/28

3 日本の心
  中国の文物にあらゆる手本を求めた古代貴族社会も、『懐風藻』の実例で見たとおり、中国に無い席を別格に用意しても桜は愛しました。そののちも『古今和歌集』「和漢朗詠集」と盛んに詩歌に歌い、桜を歌うことそのものが春の情趣となり、春は桜に関わることが貴族の文化として定着しました。近世以降は、一時のうちに散る花の姿をみごとに潔いものと武家の気風に結びつけて解釈されることが盛んになりました。「花は桜木、人は武士」です。
  しかし、貴族でもなく武家でもない市井の国学者 本居宣長(もとおりのりなが享保15年[1730]〜享和元年[1801])は、おそらく風雅の伝統とも違う、尚武の道徳とも異なる見方で、やはり桜をこよなく愛したことが知られています。

  しきしまの大和心[やまとごころ]を人問[と]はば 朝日ににほふ山桜花

  宣長が61歳の自画像に添えた讃でよく知られた歌です。宣長は当時の日本人が、中国の文明を取り込むうちにいつしかものの感じ方までそれに倣うようになり、無意識に「からごころ(漢心)」に取り憑かれてしまっていると喝破します。漢民族の文化が覆う以前の本来の日本人の心(宣長の言葉では「やまとごころ」「いにしへごころ(古意)」)とはどういうものか、それを求め続けることが宣長の生涯の仕事になったのです。具体的には、典籍に残っている言葉を精密に研究し、書かれている事柄を言語の上から実証的に究明すること、それらの集積によって日本の古代の姿を明らかにする作業です。それは同時に、上に被さっている借りものの飾りを除き、底を洗い出して、日本人が本来持っていたものの感じ方や動き方、日本人の真の姿を改めて確かめる営みでもありました。言語や文学の領域を直接の対象にしながらそれを国学と呼ぶのは、そのためです。近世の国学は今でいう国語学の祖ですが、宣長の師である賀茂真淵(かものまぶち 元禄10年[1697]〜明和6年[1769])もまた、盛んに桜を詠んでいます。

  うらうらとのどけき春の心よりにほひ出でたる山桜花

これは桜を「春の心」から生まれ出たとしています。

  もろこしの人に見せばや み吉野の吉野の山の山桜花

などは、山桜を私たちの民族の誇る花として、中国の人に見せたいものだと述べています。ここには桜を大和心の象徴とする思想が十分に看て取れると碩学山田孝雄博士は解説しています(『桜史』昭和16年[1941])。

  尚武の道徳でもなく、漢詩由来にありがちな詩文の系譜に列なるものでもない、もともとこの国にあった美意識を託す花、それが桜でした。コノハナ・サクヤ(=桜)と名付けられただけで、人々はその姫をこの上なく美しくすばらしい至上のヒロインと理解したのです。国学の隆盛と桜の花への関心の高まりが時期的に重なるというも、日本人の古代研究の場面に桜が関わる比重を物語るでしょう。日本古来の心、それはおそらく『万葉集』に読まれている素朴な桜の詠みぶりであり、パステルカラーの都の景色を「ああ美しい」と感嘆するセンス、隅田川の夜明けの光に浮かぶ薄くれないの花の姿を実に満ち足りて眺める心持ちに関係深いところにあるものと思われます。平成の現代にも春に桜の歌が絶えないのは、きっとそこに日本の心があるからです。


【文例】(※は本文中に記事あり。※漢詩は本文中に書き下し文あり。)

[漢詩]

※・初春於作宝楼置酒  長屋王『懐風藻』
   景麗金谷室
   年開積草春
   松烟双吐翠
   桜柳分含新
   嶺高闇雲路
   魚驚乱藻浜
   激泉移舞袖
   流声韵松[*イン] *は竹冠に「均」字

 ・花光浮水上(花の光水上[すいじやう]に浮[うか]む)
  瑩日瑩風 高低千顆万顆之玉
  染枝染浪 表裏一入再入之紅
     日に塋[みが]き風に塋[みが]く
       高低[かうてい]千顆[せんくわ]万顆[ばんくわ]の玉
     枝[えだ]を染め波を染む
       表裏[へうり]一入[いつじふ]再入[さいじふ]の紅[くれなゐ]
  註:池の畔の花を玉と見立て、その花の枝と水に映る花影とを染め分けられた
    布の表と裏とに見立てている。
    『和漢朗詠集』116「花付けたり落花」菅三品(かんさんぼん)菅原時文

 ・始識春風機上巧
  非唯織色織芬芳
     始めて識[し]んぬ春の風の機上[きしやう]に巧みなることを
     ただ色を織[お]るのみにあらず芬芳[ふんはう]をも織[お]る
  註:花を錦と見て、春風を機織りの名手と譬えた詩。〈芬芳〉かぐわしい香

     『和漢朗詠集』121「花付けたり落花」源英明

 ・桜  巻菱湖(まきりょうこ)
   山雲濃暖白成堆
   幾日晴[*コウ]擁不開 *は火偏に「共」字
   忽被驚風掀起去
   一団香雪漲空来
     山雲[さんうん]濃暖[ぢようだん]にして
            白[しろ]堆[たい]を成し、
     幾日[いくじつ]晴[*コウ][せいこう]するも
                      擁して開かず。
     忽[たちま]ち驚風[きやうふう]に
                掀起[きんき]せられ去り、
     一団の香雪[かうせつ]空に漲[みなぎ]り来[きた]る。
   註:〈香雪〉花吹雪

 ・桜花  草場船山(くさばせんざん)
   西土牡丹徒自誇
   不知東海有名葩
   徐生当日求仙処
   看做祥雲是此花
     西土の牡丹徒[いたづ]らに自[みづか]ら誇るは、
     東海に名葩[めいは]有るを知らざればなり。
     徐生[じよせい]当日仙[せん]を求むる処[ところ]、
     祥雲[しやううん]と看做[みな]せるは是れ此の花ならん。

[和歌]

 ・花ぐはし(花のうつくしいこと) 桜の愛[め]で
  こと愛[め]でば(同じ愛するなら) 早くは愛[め]でず
  (もっと早く愛すべきであった) 我が愛[め]ずる子等
  允恭天皇『日本書紀』巻13

 ・難波津[なにはづ]にさくやこの花冬ごもり
  今は春べとさくやこの花
  王仁[わに]「古今集仮名序」 *この花を梅とする説もある。

 ・山かひに咲ける桜をただひと目 君に見せてば何をか思はむ
  大伴池主『万葉集』3967
  
 ・桜花今ぞ盛りと人は言へど 我はさぶしも君とし在[あ]らねば
  大伴池主『万葉集』4074

※・世の中に絶えて桜のなかりせば春の心はのどけからまし
  在原業平「古今和歌集」53

※・見渡せば やなぎさくらをこき混ぜて 都ぞ春の錦なりける
  素性『古今和歌集』56

 ・わがやどの花見がてらに来る人は 散りなむのちぞ恋しかるべき
  凡河内躬恒『古今和歌集』

 ・桜ゆゑ風に心のさわぐかな 思ひぐまなき花と見る見る
  『源氏物語』竹河 玉鬘の大君

 ・桜こそ思ひ知らすれ咲きにほふ花も紅葉もつねならぬ世を
  『源氏物語』総角 薫

※・春の日のうららにさしてゆく舟は 棹[さを]のしづくも
  花と散りける   『源氏物語』胡蝶 某女房

※・願はくは花の下にて春死なむ この如月[きさらぎ]の
  望月[もちづき]の頃   西行『山家集』

※・うらうらとのどけき春の心よりにほひ出でたる山桜花
  賀茂真淵

※・もろこしの人に見せばや み吉野の吉野の山の山桜花
  賀茂真淵

※・しきしまの大和心[やまとごころ]を人問[と]はば
  朝日ににほふ山桜花   本居宣長

 ・そよ風にやなぎはまひて花はゑみて蓬がそのの春のたのしさ
  阪正臣「正臣歌集」(大正5年『樅屋全集』巻二)

 ・今日[けふ]やさく明日や匂[にほ]ふとかたまちて
  花にをさなきわが心かな
  比田井小琴「をごとのちり」(昭和9年)

 ・わが見つるたかさごじまの緋ざくらの
  いろおもはせてもゝの花さく
  比田井小琴「たかさご島のおもひ出」(昭和10年)


ヒカンザクラ(緋ざくら)小金井公園19/2/24

[散文]

 ・花は時を忘れぬけしきなり。
  (人の世がどのようであっても、花は時期を忘れずにたしかに咲くようです)
  『源氏物語』柏木

 ・風吹きて、瓶[かめ]の桜すこしうち散りまがふ。
  (春風が吹いて、瓶に挿した桜の花が、ひらり、またひらり、と
   散りまがう) 『源氏物語』胡蝶

 ・春の花の盛りは、げに長からぬにしも、おぼえまさるもの。
  (春の桜の盛りは、なるほど長くはないからこそ、なおいっそう人々に
   もてはやされるというもの) 『源氏物語』匂宮


[中世・近現代詩]

 ・みめがよければ 心もふかし 花ににほひの あるもことわり
 ・此の春は 花にまさりし君待ちて 青柳[あをやぎ]の糸 みだれ候
 ・花に嵐の 吹かば吹け 君の心の よそへ散らずば
   以上 高三隆達(こうさんりゅうたつ)「隆達小歌」文禄2年[1593]より抜粋

 ・見わたせば  柴田清煕『小学唱歌集』明治14[1881]
 1
  見わたせば、あをやなぎ、
  花桜[はなざくら]、こきまぜて、
  みやこには、みちもせに、
  春の錦をぞ、
  さをひめの、おりなして、
  ふる雨に、そめにける。
  註:「むすんでひらいて」と今日では知られる曲(作曲ジャン・ジャック・
    ルソー)で歌われた。
    
 ・霞か雲か  加部厳夫(『小学校唱歌』明治16[1883])
 1
  かすみか雲か、はた雪か
  とばかり にほふ、そのはなざかり、
  ももとりさへも、うたふなり。
 2
  かすみは はなを へだつれど、
  隔てぬ友と きてみるばかり、
  うれしき事は 世にもなし。
 3
  かすみて それと、みえねども、
  なく鶯[うぐひす]に、さそはれつつも、
  いつしか来ぬる、はなのかげ。
  
※・花  武島羽衣(『四季』明治33[1900])
 1
  春のうららの隅田川
  のぼりくだりの船人が
  櫂[かひ]のしづくも花と散る
  ながめを何にたとふべき
 2
  見ずやあけぼの露浴びて
  われにもの言ふ桜木を
  見ずや夕暮れ手をのべて
  われさしまねく青柳[あをやぎ]を
 3
  錦織[を]りなす長堤[ちやうてい]に
  暮るればのぼるおぼろ月
  げに一刻も千金の
  ながめを何にたとふべき

 ・春愁
  柳はみどり、花くれなゐに、見えわたる、春の空、
  蝶[てふ]くるひ、蜂たはぶれ、うらうらと、のどかなる日に、
  ただひとり、まどさしこめて、つくづくと、物思ふこの心、
  誰にか告げむ、
  くるふ子蝶[こてふ]、たはるる蜂、このわがうれへ、
  あはれとみなば、なぐさめよ、ああはかなしや、
  柳や笑はむ、花やわらはん、はかなき思ひを。
  阪正臣『樅屋全集』巻四

 
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