レポート  − REPORT −

比田井南谷レポートレポート   Vol.13  クレラー・ミュラー国立美術館主催『日本美術の伝統と革新展』(1959年)

Vol.13  クレラー・ミュラー国立美術館主催『日本美術の伝統と革新展』(1959年)

南谷は、「書の芸術的本質は鍛錬された線による表現にあり、用材は単なる媒体にすぎない」との信念で、1955(昭和30)年から、様々な用材(マチエール)を媒体にした書作品を追求した。キャンバスに油絵具を用いたり、ファイバー・ボードにラッカーを塗り、墨をにじませたり、古い拓本の上に書いたり、ボードに油絵具を一面に塗り、それを竹片やタイヤの切れ端で引っ掻いたりと、多種の用材と多様な技法で書の本質的表現を追求した。こうした果敢な挑戦が、第2次世界大戦後の欧米の先鋭的な芸術活動とも呼応して、前衛書運動が世界の注目を集めるようになった。そして、1959(昭和34)年の『第5回サン・パウロ・ビエンナーレ展』に南谷は森田子龍とともに選ばれて出品した。この1959年には、南谷が初めて渡米する前に、東京での個展2回、オーストラリアのメルボルンでの個展、毎日新聞社主催『第2回前衛書代表作家展』に出品するなど、南谷の目覚ましい活躍がクローズアップされた。そのひとつにオランダのクレラー・ミュラー(Kröller-Müller)国立美術館主催『日本美術の伝統と革新展』の4人展で白隠・棟方志功・篠田桃紅と並んで比田井南谷が選ばれた展覧会がある。少々、奇異に感じられる4人の選択がどのような背景でなされたのか、紹介する。

オランダのクレラー・ミュラー国立美術館は1938年の開設で、フィンセント・ファン・ゴッホに関するコレクションで知られ、その絵画は90点におよぶ。『アルルの跳ね橋』(1888年)・『夜のカフェテラス』(1888年)・『糸杉と星の見える道』(1890年)など、代表作が揃っている。その規模はアムステルダムのゴッホ美術館とならび、2大ゴッホ美術館と称される。クレラー・ミュラー国立美術館主催「日本美術の伝統と革新展」の4人展(白隠・棟方志功・篠田桃紅・比田井南谷1959年8月9日~9月13日)の「展覧会カタログ」を読んでみる。元はオランダ語であるが、現地での英語訳から重訳する(南谷もこの英語訳で読んでいる)。


「日本美術の伝統と革新 ――白隠・棟方志功・篠田桃紅・比田井南谷――」
クレラー・ミュラー美術館 オッテルロー(オランダ)
日本美術の伝統と革新
現代作家、比田井南谷・篠田桃紅・棟方志功と17世紀の素朴な禅僧画家白隠

1959年8月9日~9月13日
A.M. ハンマッハー (A.M.Hammacher)

西洋以外の芸術文化の多くを、ヨーロッパ人は20世紀芸術が開拓した視点や心の美的な感覚を目覚めさせた視点に基づいて理解している。変わらない人間の創造力に基づくとはいえ、心の美的な感覚は一定不変のものではない。19世紀は日本の木版画〔浮世絵〕や陶器や調度品が大きな影響力をもったことで知られている。それは、装飾に関する流行よりも、西欧のこれまでの空間表現から別様式の空間表現を生みだす手段として、好意的に受け入れられた。それは当時の人々が表現しようと望んだものに、より優れて、繊細で、明確なものを示すものであった。

この平面的な浮世絵の背後に隠された世界の重要性を理解したのは、ファン・ゴッホだけであった。どのようにして、ファン・ゴッホがその激情や、絵を描く時の電光のような素早い手の動きや、精神集中、また、とりわけ、ごく小さな形の生命がもつ象徴的な意味の重要性に気づいたかは謎である。ゴッホが利用できたものは、せいぜいピエール・ロティの文学(注1)やゴンクールの芸術論(注2)や画商のビングの刊行物(注3)が論じたものにすぎない。

浮世絵の領域は狭いものであった。日本を訪れる人は、すぐに全く別の、より重要な日本を発見する。特に19世紀についてのヨーロッパ人の観方や芸術の発展に、どの程度、浮世絵が影響を与えたかは、すぐに見て取れる。〔実は〕ファン・ゴッホは直感的に〔浮世絵とは〕別の日本に気づいている。キュビスム(注4) やフューチャリズム(注5)、抽象(注6)やタシズム(注7)によって育った現代の世代が、前代や現代の日本の書家たちを発見したのではない。現代が呼び起こした諸要素〔キュビスム、抽象、タシズムなど〕が、すでに前から書家たちの中に現れていると認めることしか、ヨーロッパ人にはできない。第一歩は認めることである。ヨーロッパ人は、西洋芸術の多くのアンフォルメルな様式、半ば書道的表現や抽象表現のようなものを認める。結論を出すにはまだ早すぎる。もちろん、理解できないと結論づけるのでなければ、影響関係の解明には時間がかかる。認めることは多くの場合、表面的なものにとどまる。それは、疑念が生じ、違和感が生じ、新たな驚きが生じた後に、やっと始まる。おそらく、ヨーロッパ人はこうした書を見ることで、少し日本を理解し始める。書は若い世代が台頭したからといって古い伝統的観念を覆い隠すことはない。西洋と日本の新興芸術の関係を最初に認めることが不可欠であり、書の何世紀もの伝統ととの結びつきの重要性に気づくことが必要である。

ヨーロッパ人はそうした伝統を持っていない。ヨーロッパ人は知らず知らずのうちに禅と関わっている。ヨーロッパ人がアメリカの禅ブームをただ嘲笑するだけならば、愚かなことである。しかし、東洋とは全く別の思考・感情の傾向から由来する西洋芸術の発展が、近年になって芸術における記号(文字)に行き当たることに、躊躇いながらも気づくのは良いことである。逆に、日本では、何世紀もの間、中国伝来の表意文字(象形文字)、漢籍とともに暮らしてきた。この文字は音標を基礎とするのでなく、純化されたイメージ〔形象〕を持つ。ヨーロッパ人は、この文字の違いが精神生活にとって、いかに根元的なものかに気づくためには、時間をかけて集中しなければならない。ヨーロッパ人の書かれた文字と日本の漢字との大きな違いに注意を喚起する必要がある。

例えば、ヨーロッパ人の文化の細密画(ミニアチュール)を見よ。アムステルダムのクレラー・ミュラー美術館は、今夏、ベルギー〔フランドル〕の職人技の素晴らしい展覧会を開催する。これは書物の内容を絵として伝える手段となっている。素晴らしく魅惑的なのは、こうした写本の中の図形(絵)と言葉を形成する文字とが統一的に結びついていることである。絵画的な要素が言葉と並んで、自己展開する。言葉の方は、書物の筋の運びの中で、その音楽的な響きを見せる。しかし、絵の方は物語を簡単に要約した後で、視覚世界だけに結びつく。このことが、文字が表すことのできるものを離れて、ますます形象で絵を満たすことになる。

こうしたすべてが日本の書としては問題にならない。木版画の中に、西洋で発展したような同類の挿絵の側面が生きている。しかし、書によって本質的に新たな世界が開かれた。それは目に見えるものの一つではない。でも、ヨーロッパ人にとって困難な点がある。もし、ヨーロッパ人が日本語に熟達していなければ、あるいは日本に生まれていなければ、日本の文字(漢字)が人々の心に招くことができる有機的な力が分からないという点である。ヨーロッパ人の抽象観念は役立つ手段であるが、十分なものとは言えない。人間の自由で開かれた感覚だけが、書に表現されたものを推測することができる。ヨーロッパ人は、自身の言語文化から自分を切り離すべきである。それは、古く、かつ新しい日本の文字を真に理解するために、いかに不可能と思えてもそうしなければならないのである。

比田井(南谷)は横浜出身の若い強靭な芸術家であるが、まる1日のトークショウの後で語った。日本の現代書に対するアメリカ人の関心が、書に対する真の理解に至るかどうかは今なお疑問であると。彼はまた、「アメリカ人」もそれを感じていると示唆した。(現代書は伝統書を破壊しながら、書として継承を続けている。)ヨーロッパ人は、ルネッサンスの伝統を破壊したが、書を破壊された伝統の継承という理解では、西洋人には書がどのようなものであるか、分からない。南谷の背後には、伝統書の世代の偉大な創始者、父比田井天来が創設した、よく知られた膨大な書庫が存在していた。天来(1872—1939)は、複数の時代〔の書〕を隈なく収集した著名な人物であって、寺院の壁画や画像、木簡などの書を収集した。書いた人の名が付いた書の感情や知恵や技法の宝が集められた。しかも、それらは歴史的に見捨てられた文書とは、別の役割を持っていた。

息子の比田井は、父が守った規則を破り捨てた。しかし、彼は、新たな規則を生み出すために同じ手段を用いるという精神は捨てなかった。貴重な古墨を見よ。黒〔の線〕と白〔の余白〕と中間の色彩を見よ。12世紀からの大乗仏教の禅師はこうした手段を用いた。美しい料紙、素晴らしい太筆と細筆。これらは素早く吸収する紙に、取り消すことのできない筆跡をもたらした。「確実さと素早さ」である。ファン・ゴッホは、特に書を知らずにこうした要素に気が付いた。確実さと素早さと直截さは、全く熟練した腕と手によって保証され、知的決断によって動揺することなくゆっくりと実現し、複合した力によってインスピレーションを受ける。でも、どんな力なのか? そして、どのような経験によって導かれるのか?

この点で、再び相違に気が付く。ダダイズム、シュルレアリスム、タシズム、アンフォルメル、野獣派を生み出した西洋ヨーロッパと、何世紀もの禅の影響、中国宋代の絵画の背景、そして重要な書の伝統を持つ日本との相違である。いたるところで、双方の領域は互いに接触する。ヨーロッパとアメリカでは、面白半分に禅に手を出すが、それにもかかわらず、トビーやマッソン (注8)は、他の運動より深く禅に接触している。カレル・アッペル(オランダの画家)(注9)は、日本の書家が行っているのは絵画paintingと呼ぶことができない。それは文学literatureを生み出しているのである。絵画はヨーロッパのみであり、しかも北ヨーロッパのみである、と語っている。この発言で、とにかくヨーロッパの芸術家による絵画が、言葉と記号文化の外で生み出されていることがいかに多いかが明らかとなる。しかし、実際は、文学と呼ばれることを恐れているが、デザイン的な表現で行っているのである。なるほど、多くの芸術家がそのように〔デザイン的表現を工夫〕しているけれども、一部の芸術家は、疑いなく、抽象の世界が日本の空emptinessの実現のように積極的な価値となりうることに気づいている。

日本の作品のタイトルは経験や気分や感情を表す。それは、具象的な像や言葉で捉えるべきでなく、記号signと並んで象徴symbolのイメージを掴むものである。今日、日本には多数の書家と画家のグループが存在する。彼らは、そのグループの理念を表す中心的な形象を選ぶのを好む。彼らは多かれ少なかれ、自分たちの基準を持つ活力ある団体である。西洋人はほとんどこの点を知らない。西洋人はすぐに有名な団体名を覚え、次いでその性格について考えるが、こうした団体の重要さについて評価できない。なお、たくさんの発見すべきものがある。今回、美術館で、小規模であるが集中的に展示しようとする日本の新しい発展作品は、後で、日本で何が進行しているかに関して典型例と思える三つの位相に還元される(後の解説を参照)。この選択をするうちに、私はそこに自分の西洋的教養が大きな役目を果たしていることに気が付いた。

棟方志功は、私には典型的な過渡期の人物と思えた。彼は、板画で装飾の才能を表していて、西洋で繫栄したフランドル美術やドイツの表現主義に近い。棟方は自国の民族芸術の偉大な伝統が分かっており、情熱をもって愛している。彼は禅の伝統もわきまえている。彼はまた、素早く激しい動きで書も書いている。彼には、西洋の表現主義からアプローチ可能である。

比田井南谷は、早くから、日本と日本の外の世界との問題性に気づいている。彼の抽象書は父天来の作品に対する変わらぬ尊敬に基づいている。しかし、彼はその作品を、豊かであるが張りつめた内面生活の主観性のすべてで満たすことをわきまえている。洗練と力強さで多様に変化する。造形の誘惑が彼を悩ますようには見えない。

篠田桃紅は女流書家で、伝統的な書を学ぶために教育を受けたが、完全に抽象の様式に到達した。彼女は棟方志功の対をなす対抗者である。私は、彼女の作品を制作された日本の屋内で見た。その芸術は、私には、自然そのものと屋内とが途切れずに結びついたもののように思えた。

白隠(1685-1768)は禅宗の僧侶で、疲れを知らぬ人間改革者であった。18世紀の彼の作品は、現代日本が発見したものである。白隠の比類のないコレクションを有する細川家の好意と東京の近代美術館の今泉氏の助力で、今回の展覧会が可能となった。

篠田桃紅と比田井南谷の作品は、礼儀正しく好意をもって、ヨーロッパ人の自由に任された。棟方志功は絶えずアメリカに渡っている。彼の作品は、アメリカでとても人気があり、ちょうど展覧会が開催されており、その作品の一部が今回、ヨーロッパ人の自由に任された。今回の展覧会の作品収集と推進については、専門的に読売新聞のスタッフが担当した。   (カタログには、続けて4人の経歴が紹介されている。)

(注1) フランスの作家、『お菊さん』はゴッホに影響を与えた。
(注2) フランスの作家・美術評論家、『北斎・歌麿』など、浮世絵の紹介でジャポニスムを興隆した。
(注3) パリの画商、月刊誌『芸術の日本』刊行、ゴッホはビングの画廊で浮世絵を購入。
(注4) 立体派、ピカソ、ブラック。
(注5) 未来派、イタリアのマリネッティ。ロシアの詩人マヤコフスキーに影響を与えた。
(注6) カンディンスキーやモンドリアン。ここではモンドリアンの幾何学的抽象。
(注7) 絵具を滴らせたり飛び散らせたりする抽象画法。ジョルジュ・マチューが代表。一時期、J・ポロックやW・デ・クーニングも関与。
(注8) アンドレ・マッソン。フランスの画家、シュルレアリスムや第2次世界大戦後、抽象表現主義に触れた。
(注9) モンドリアンと同じオランダ国立芸術アカデミー(ライクス・アカデミー)の出身。

*アブラハム・マリー・ヴィルヘルムス・ヤコブス(Bram)・ハンマッハー(1897-2002)。オランダの 美術評論家で美術史家。1947年から1963年までKröller-Müller美術館の館長(ディレクター)。ファン・ゴッホの研究家であり、後年はバーバラ・ヘップワース(イギリスの彫刻家)の研究で知られる。

この展覧会で展示された南谷の作品は、「作品16・作品23・作品26・作品30・作品35・作品36・作品57-1・作品57-5・作品57-7・作品58-3A・作品58-38陽・作品58-39陽・作品58-43陽」の13点である。篠田桃紅は15点、棟方志功は4点、白隠は10点の本格的な展覧会であった。

展覧会に出品された南谷作品「作品30」。展覧会の後、クレラー・ミュラー美術館がこの作品を購入することになったという、ハンマッハーからの手紙が残されている。 南谷作品を所蔵する美術館のページはこちら。 http://www.shodo.co.jp/nankoku/museum/
解 説

日本の浮世絵の色彩の鮮やかさや遠近法を用いない平面的な空間表現は、西欧のルネッサンス以来の伝統と異なった芸術表現として、19世紀西欧芸術に新鮮な驚きを与え、芸術のジャポニスムとして広まったとされる。ヴァン・ゴッホも日本の浮世絵の影響で、その芸術を開花したというのが通説である。しかし、クレラー・ミュラー美術館館長のハンマッハーは、ゴッホが浮世絵より、さらに重要な日本美術の世界を深く理解していたと主張している。そこから、この重要な日本美術の世界を、今注目されている前代や現代の日本の書家の作品から読み解こうとする。

一方で、ルネッサンス以来の伝統を破壊した20世紀西欧芸術のキュビスム、フューチャリズム、抽象主義やダダイズム、シュルレアリスム、タシズム、アンフォルメルなどの動向が、日本の書に先駆を発見して称賛する、といった方向には冷静である。西洋芸術のタシズム、アンフォルメル、抽象表現主義などと日本の現代書との影響関係の解明には、時間を要するという。それでは、日本の書の伝統的な本質とは何か、と問いを進める。ハンマッハーは、第一に書の伝統と禅との結びつきを挙げる。第二に、書における日本の文字・漢字と視覚的なイメージ(形象)との結びつきを提示する。西欧においても、フランドル美術のミニアチュールの写本では、書物の筋を説明する言葉の文字と、筋を要約する挿絵の絵が結びついている。しかし、絵画的な要素が言葉と並んで、自己展開していく。こうして、文字から離れて視覚的な世界を展開する。さらに、現代の西欧の画家の多くの絵画が、言葉と記号文化の外で生み出されているという。しかし、絵画に象徴性(文学性・意味)のイメージを表現したい場合には、デザイン的な表現をひそかに用いているという。

この展覧会では、
1.日本の伝統。書の伝統と禅との結びつきについて、17-18世紀の禅僧、白隠の作品で提示する。白隠の書や禅画が、単に文字の意味(言葉)や視覚的形象(絵)を表現するのでなく、その背後の象徴性、禅の空emptiness の実現として捉えられる。
2.現代日本の美術・書の展開を三つの位相で提示する。
① 日本から西欧へ。
禅と結びついた書芸術から西欧的絵画への過渡期的芸術家としての棟方志功、西欧の表現主義から理解できる。
②日本と西欧との相違の自覚。比田井南谷。伝統的な書の文字および文学性を排除した革新的抽象書を展開する。しかし、父天来から学んだ書の伝統を受け継ぎ、絵画的表現性を排した内面性(心)を表現する書の新しい世界を提示する。
③日本の普遍化。篠田桃紅。棟方志功と対をなす対抗者と把握される。伝統的な日本の書の抽象的様式化。日本の自然と日本人の文化(生活)との連続性を書的様式で表現する。

ハンマッハーは、ファン・ゴッホの「絵を描く時の電光のような素早い手の動きや、精神集中、また、とりわけ、ほんの小さな生命の形がもつ象徴的な意味の重要性」について、日本の禅と結びついた書の伝統として主張している。書における墨、黒〔の線〕と白〔の余白〕と中間の色彩、紙、太筆と細筆、一回限りの取り消すことのできない筆跡、確実さと素早さ。確実さと素早さと直截さは、全く熟練した腕と手によって保証され、知的決断によって動揺することなくゆっくりと保たれ、複合した力によってインスピレーションを受ける。ゴッホが、このような書の要素を深く理解していたことを提示する展覧会であったと言えよう。

ページのトップへ戻る