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比田井南谷レポートレポート   Vol. 11 香港の「M+ 美術館」

Vol. 11 香港の「M+ 美術館」

建設途中の「M+ 美術館」 背景は香港島ヴィクトリア・ハーバーの夜景 (いわゆる100万ドルの夜景)

香港政府は九龍西区 62,000㎡(約東京ドーム1.5個分)の海沿いスペースに、20世紀と21世紀の現代アート、デザイン、建築を香港、中国、アジアから国際社会に発信する新しい美術館、M+を現在建築中である。当初、完成予定は本年2017年であったが、延期された。香港政府の構想・計画に基づき「視覚文化の総合美術館」を目指して、2012年から中国人作家325名の絵画、彫刻、映像など2000点を蒐集した。M+はこの作品群を核に、「アートもデザインも建築も映画もすべて同じ場所に置くことで、それぞれが影響しあうような美術館を目指す」(2015年10月22日に京都精華大学で行われた初代館長ニットヴェの講演。現在はスリランカ出身の女性キュレーター、スハーニャ・ラフェルが2代目の館長)方針だという。M+の「+」は、いうまでもなく、既成の美術館にはないプラスアルファのコンテンツを意味する。特に、アジア独自のInk Art(墨〔水墨〕の芸術)に注目し、日本、韓国、台湾、さらに欧米作家のInk Art作品も幅広く蒐集している。現在では、6000点のコレクションとなっている。

本年10月12日、すでに完成している展示パビリオン(中心のアートセンターより小規模なスペース)「M+パビリオン」において、先行的な「似重若軽 The Weight of Lightness:Ink Art at M+」と題した展覧会を開催した。「水墨」は伝統的なアジアの書道と山水画を指すが、同展はそれを1つの制作手法ではなく、現代における美学の1つとして捉え、展示は「字跡、符號、筆劃 Scripts, Symbols, Strokes」と「山水的念頭 Desire for Landscape」と「物・外 Beyond Material」の三部に分かれている。その「字跡、符號、筆劃」のセクションに、日本からは比田井南谷と森田子龍の作品が選ばれた。

 
「似重若軽The Weight of Lightness」のポスター
九龍と香港島を渡すフェリー

国際都市 香港

香港は中華人民共和国の南部にある特別行政区で、広大なスカイライン及び深い天然の港湾を抱える自由貿易地域であり、1,104k㎡ の面積に700万人を超す人口を有する世界有数の人口密集地域である。香港は世界都市でありロンドン及びニューヨーク、シンガポール、東京と並び、世界的に重要な国際金融センターに格付けされている。低税率及び自由貿易を特徴とする重要な資本サービス経済を有し、通貨の香港ドルは世界第8位の取引高を有する。香港のGDPの80%をサービス産業が占める。観光産業がGDPの約5%を占めるほか、古くから映画産業(ジャッキーチェンなど)が盛んである。2017年9月の金融センターランキングにおいて、ロンドン、ニューヨークに次ぐ、世界3位と評価された。2016年の外国為替市場の1日当たりの取引額は4370億ドルであり、日本を追い抜き、イギリス、アメリカ、シンガポールに次ぐ4位に浮上している。

香港島ヴィクトリア・ピークから見た超高層ビル群。 対岸の九龍西区のスカイタワーの左側が「M+ 美術館」の建設地。

香港の歴史

1.清朝

大英帝国は、貿易を制限する中国への進出のために、インドで生産されたアヘンの密貿易を中国に対して行っていた。清朝、大清帝国は林則徐を広州に派遣し、英国船のアヘンを没収・廃棄した。1840年、イギリスは軍艦15隻を中心に遠征軍を派遣し、圧倒的な火力で南京に迫り、1841年清朝は降伏した。この大英帝国とのアヘン戦争によって、1842年南京条約が結ばれた。その内容は1.香港島割譲 2.賠償金2,100万$の支払い 3.広州、福州、廈門、寧波、上海の5港開港 4.公行の廃止による貿易完全自由化、であった。さらに、イギリスの治外法権・最恵国待遇・関税自主権を認める不平等条約も結ばされた。その後、明治維新を経て西欧列強と伍するべく富国強兵政策に邁進する日本明治政府と、朝鮮半島の覇権をめぐって1894年、日清戦争が勃発。1895年に日本が勝利した。大清帝国は「眠れる獅子」と恐れられていたが、小国日本に敗れて、「張子の虎」であることが露呈された。この清の敗北を契機として、南下政策をとるロシアや、中国進出を図る西欧列強(ドイツ、イギリス、フランス)及び日本が租借地を獲得することとなった。膠州湾をドイツ、旅順・大連をロシア、九龍半島・威海衛をイギリス、広州湾をフランス、そして福建省を日本が租借地とし、中国分割が進行していった。

2.清朝の滅亡・戦乱の時代

大清帝国は1900~1901年の義和団事件、1911年の孫文の辛亥革命を経て、1912年に中華民国の成立によって滅亡した。その後、第1次世界大戦、史上初の社会主義革命のロシア革命等の動乱の中で、中国は軍閥割拠や、孫文の国民党、ロシア革命の影響下の共産党による国共合作や国共分裂、そして毛沢東の登場によって国共内戦へと変動していった。1937年日中戦争の勃発によって、抗日民族統一戦線が結成され第2次国共合作が成立した。

1945年8月の日本降伏によって、中国では権力の空白が生まれたが、1946年7月蒋介石の国民党軍と毛沢東の共産党軍との間で内戦が勃発した。世界大戦後でも中国では戦乱が続き、ようやく1949年10月毛沢東の共産党軍が勝利し、中華人民共和国が樹立された。蒋介石の国民党軍は台湾へと敗走した。
3.香港の返還

中華人民共和国は文化大革命の混乱の後、鄧小平による改革開放路線の進展により、市場原理と外資の導入が促進された。その中で、1997年、江沢民によってイギリスから香港が返還された。香港割譲から155年ぶりであった。

香港は中華人民共和国の南部にある特別行政区であって、香港特別行政区基本法において香港の政治は行われ、国際関係及び軍事防御以外の全ての事柄において高度な自治権を有することを規定している。なおこの自治権は中国中央指導部の委任・承認に基づき地方を運営する権限であり、完全な自治権、地方分権的なものではないとされている(一国二制度)。

九龍地区の昔ながらの坂道。裕福な英国国民の邸宅が並ぶ香港島ベイエリアと異なって、九龍地区は中国民衆の屋台店等の密集地であった。 現在は周りを超高層ビル群が囲み、九龍ベイエリアでは、再開発のために超高層ビルの建設ラッシュでいたるところ、 ブルドーザーやクレーンが並び、土埃りとセメントの臭いが充満している。

現代アートの興隆地 香港

中国の経済的な発展はアートマーケットの興隆を生み出した。非西洋諸国において、バブル期の後に沈没した日本に代わり、経済とアートがともに栄えたのはBRICsの国々(ブラジル、ロシア、インド、中国)だった。アジア通貨危機後の中国は、21世紀に入ってから成長を加速させ、2007年には14.16%という高い成長率を記録する(世界通貨基金「世界経済見通しデータベース」による)。国際自由港である香港は中国現代アートの爆発的ブームとともに、クリスティーズやサザビーズなどのオークションハウスが進出し、現代アート作品の販売を始めた。ガゴシアン、ペース、ホワイト・キューブ、リーマン・モーピン、エマニュエル・ペロタンら、欧米の有力ギャラリーも支店を開設した。2013年にはアート・バーゼル香港が始まり、世界で最も格が高いとされるアート・バーゼル・マイアミビーチに続く第2のアートフェアの開催地として選ばれたことで、香港はアジアにおける現代アートマーケットの中心地に定まった。「ポンピドゥー・センターに匹敵する文化施設」として「M+ 美術館」が構想されたのは、香港がこうしたアジアのアートの中心地だったからである。


南谷と「M+ 美術館」

今回の「似重若軽 The Weight of Lightness」展には、南谷の作品は2点展示されている。ポスターになっている1953年の「作品12」と1963年の「作品63-12」である。どちらも「鳥の子紙」と「墨」の作品であるが、「作品12」が「電のヴァリエーション」から引き継がれた「文字を離れた墨象(墨による造形)」の実験作であるのに対し、「作品63-12」は筆の動きがそのまま紙に定着するいわゆる「奇妙な墨」を用いて、線と点の単純な構成にもかかわらず、大胆で力強い線と揺るぎのない構築力に満ちた書的な作品である。 南谷が渡米して、その「墨による線」の芸術が世界に衝撃を与えた時期の代表作のひとつである。筆の動き(stroke)と墨によって新たな「線の芸術」の可能性が展望できる作品である。今回の「筆劃 Strokes」という展示の分類に最も適合した作品であると言えよう。


作品12
作品63-12

南谷の作品の隣に、森田子龍の1963年の作品「俎板」と1967年の「圓」の連作のひとつが展示されている。「俎板」も「圓」も発想の原点に文字としての漢字があり、書く行為の順序も明確に把握されているが、墨のにじみや造形的表現には水墨画との共通性が感じられる。「俎板」は「俎板の鯉」の俚諺に由来すると言われ、子龍のアイロニカルな性格が感じられる。「圓」は子龍らしい代表作のひとつである。


「俎板」1963  「圓」1967

南谷の作品は上記2点を含め、南谷芸術の各時期にわたる6点が「M+ 美術館」に収蔵された。その中には、1964年8月の、森田子龍と岡部蒼風との湯島聖堂での大筆のパフォーマンスで南谷が書いた縦5メートル横4メートルの大作(下の作品)も含まれている。余りの大きさで、国内ではほとんど展示されたことがない「強い線」の時期の作品である。2019年予定の全面開館の「M+ 美術館」での展示が待たれる傑作である。

南谷は、自分の「書芸術」が中国3500年の伝統的な「書」の本質を受け継ぐものと生涯、確信していた。いま、その中国で「墨と筆の動き(stroke)【線】を根幹にした芸術」の最先端で、しかも、その根底的な芸術家として承認されたことに苦笑いをしているに違いない。


大作(1964年)
左の作品を書いている南谷(湯島聖堂)

香港の夕昏の光
建設中の「M+ 美術館」の朝の光
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