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比田井南谷レポートレポート   vol.9 南谷と実存-part1

vol.9 南谷と実存-part1

1957(昭和32)年の「Mé」というパンフレットに、南谷の「前衛書」についての姿勢を明快に表す文書が掲載されている。3000年以上の伝統を持つ書の特質を整理しながら、敗戦後に前衛書道が誕生してくる必然性を論じた文章である。南谷の主張としては、他の前衛書家との座談会や新聞記事等でも、変わらずに繰り返されているものである。ただ、この文書の中に、一文だけ注目すべき主張がある。それは、「墨象は社会的実存である」という主張である。

南谷は、文学的思想的な観念を用いて自分の書を説明することは、ほとんどしていない。
南谷が「社会的実存」という言葉を用いたのはここだけと思われる。南谷の「社会的実存」とは、果して何の謂いだろうか。

まず、文書全体を示す。現在では、使わない文言もみられるが歴史的文章としてそのままとする。【  】内は、掲載された文章に、あとから南谷自身が手書きで入れた注である。

  前衛書道をめぐって     比田井南谷 「Mé」 1957年 6月号

古くから「書は心画(かく)なり」【人の心を表現する繪】とか「書は人なり」【人格の表現】とか言われた。これは書が喜怒哀楽の表現よりも、もっと抽象的な情操的な心奥を表出する特質があるからであろうと思う。しかしこの特質によって、反面書道は近世その真の芸術的価値が忘れられ、頑陋な封建的儒教的修養の具に利用されていた事は、誠に遺憾なことであった。「書は人なり」どころでなく、今私は敢えて「墨象 modern calligraphy は社会的実存である」と云いたい。それが如何に社会一般から奇妙に見えようと、抽象的絵画の真似だと批判されようと、漫画の材料にしてからかわれようと、敗戦を契機として思想的な脱皮を経た日本の現実社会に於いて、古い書道の修養から逃れ、更に文字の桎梏まで破砕して、当然生まれ出ずべくして生まれたものであると思う。

  

書は三千年の昔、支那に発生し、当初より文字としての実用面の他に造形芸術の性格を多分に持っていた。以来実用と芸術の両面から、字形と内容に幾多のデフォルメを繰返して、篆(てん)、隷(れい)、楷(かい)、行草等の各種の書体を生み、さらに時代の思想を反映して内容的変遷を示しつつ今日に及んでいる。

  

書の特質を論ずるならば、ここに最も著しい要素として≪線質≫というものがある。書道では、毛筆による線――厳密な意味では【幅があるから】面であるが――の表わす性情を筆意【線の表わす感情】というが、遅速、曲直、潤渇、強弱等様々な線の形体が、筆者の性情の変化に随って流出し、その人間があらわれるのである。絵画の線は物体の輪郭から出発したものである。東洋画で筆意が重んぜられてはいるが、書の場合は線を書くという意識が強く、線がその生命であることを考えれば、その重要度に於いて格段の相違があることがわかる。又高度に練磨された書の線は、紙上に躍り【その軽妙なること紙を離れること三寸のことばあり】、木に深く入り【王羲之の書は「筆力の強きこと木に入ること三分」のたとえあり】、絵画とは別な立体感覚を観者に与える。

 

次に第二の要素として、書の≪構成≫には次の特徴がある。書の構成は筆意と切り離せないということ【筆意の強弱が構成上の一要素となる意】、又空白部――書かれない部分――が非常に重要な意味を持っていること、さらに楷書等の建築的構成や草書や平仮名作品に見られる一種絵画の画面構成に似た美しさをあらわしたものがある。これは次に述べる時間的要素とも関係がある。

  

書の≪時間的表現≫は、書が絵画のように或る比較的永い期間を【制作に】費やすのでなくて、或る連続した時間的経過の中に、筆者の人間的な内容が表わされるという、一寸音楽演奏に似た時間性がある。ただしこれは音楽のように絶対的な時間【具体的な時間の長さの意】をあらわすものではなく、心理的経過を画面に定着するところに相違がある。

  

次に<マチエール【材料感/画面の肌texture】・色彩>という点では、書の本領からいえば二次的な要素であるとも考えられる。しかし古人も筆、墨、紙の質や効果に少なからぬ意を用い、色彩的考慮もなされていることは事実である。私は書に於いて紙墨の材質感や色等は付加的要素というよりは、むしろ創作の発想動機を左右する程【材料と筆の感触から発想する意】の重要な条件となるもので音楽に於ける楽器の音色の様なものではないかと思う。
  

さて新しい書道について述べると今一般に前衛書道と言われている文学性或は文字性を離れたもの――墨象――を主としていえば、墨象は未だ発生してから、僅々十二年位であり、相当数の作家が仕事をはじめたのは五、六年前のことであって、その本質的な究明すら不十分な段階にあると思われる。

  

しかしこれ等の文字性を離れた新しい仕事を推進している者達は、過去長い年月を古碑帖【古い碑文、法帖の石摺手本】を基礎とした書の錬磨に没入し、書の良さというものを、広い意味の造形芸術として骨の髄まで味わって来た次第であるから、理論的には夫々異なった考えを持ってはいるが、書の本質を身をもって体験していることに変りはない。
  新しい立場で、書の本質を如何には掘り下げ発展させるかという事がこれからの命題であろう。就中、書の古典作品をも深く掘り下げ、特に筆意の表現性、書的構成【画と違った独特な構成】、絵画とは別の意味の空間処理、あるいは時間的要素、更に文学性、文字性との関連という様な面の追及に真剣な努力がなされているのである。
(昭和32年5月25日)

 

「実存」という用語

ハイデッガーやヤスパースの哲学用語Existenz(もともとex-sistere「外に-立つ」)を「現実存在」、縮めて「実存」と訳したのは、九鬼周造(1888〔明治21〕年~1941〔昭和16〕年)である。1933(昭和8)年に発表した「実存哲学」を嚆矢とする。九鬼は1921(大正10)年から1928(昭和3)年までヨーロッパに遊学し、ベルクソンやハイデッガー(主著『存在と時間』1927年)に師事した。29年に帰国後、フランス哲学や、特にハイデッガー哲学を紹介し、日本におけるハイデッガーの実存哲学の受容に大きな役割を果たした。

ハイデッガーの実存

ハイデッガーの『存在と時間』は「存在するもの」と「存在すること」との区別から出発する。人間は「存在するもの」(存在者)のうち、唯一、「存在すること」(存在)を問う存在者であって、「現にそこにDa」「存在Sein」があらわれている存在者Dasein、「現存在」だと言う。現存在とは、「自分の存在」において「存在自身」、「存在の意味」が問題となる特別な存在者であり、現にそれに関わっている「存在」が「実存Existenz」と呼ばれる。現存在は「世界の内に存在しているもの」(世界内存在)であり、「世界」と「内存在」の理解が問題とされる(現存在の実存論的解明)。

ハイデッガーは、現存在の「存在の意味」を「時間性」として捉える。現存在が自分をどのように理解するのかも、「伝統(伝承)」によって拘束されている。伝統は、ハイデッガーにとって、解体・破壊の対象である。伝統は、「引き渡すもの」を近づきうるものとするより、むしろ、それを隠蔽するからである。硬直した伝統を破壊することによってこそ、隠蔽されていた「真理」がそれ自身を「見えるようにさせる」ことになるからである。

「隠された在り方」を破砕して、存在の意味を発見すること、そこにハイデッガーの実存の在り方が定位されていた。
vol.9 南谷と実存-part1

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