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比田井南谷レポートレポート   vol.7 万国博覧会 美術展(1970)

vol.7 万国博覧会 美術展(1970)

12月4日(日)まで、長野県佐久市立近代美術館で「比田井天来・小琴顕彰 佐久全国臨書展」が開催された(今年で第5回を数え、応募作品も昨年より増加し、また、臨書作品の領域も広がり、小学生から一般の部まで、ますます全国規模の展覧会となった)。 この佐久市の北西に、中山道の宿場町であった望月がある。望月は比田井天来の生地であり、この地に、1975(昭和50)年、書家比田井天来を顕彰するとともに書道発展に寄与するため、長野県、望月町とともに桑原翠邦・金子鷗亭を始めとした天来門流の大きな働きかけによって、文部省認定の日本初の書道専門美術館として、天来記念館が設立された。白壁と鉄平石で装った重厚な土蔵風の建物は、書の殿堂にふさわしい芸術的情緒を漂わせている。

この天来記念館に、新たに比田井南谷の「作品70—1」が展示されている。この作品は、実は、天来記念館の隣の「佐久市駒の里ふれあいセンター」に展示されていたものである。

比田井南谷

「駒の里ふれあいセンター」は市民の文化センターとして、合併前の望月町役場に隣接して1995(平成7)年に開館した。南谷の作品は、センター玄関ホールの2階の回廊側面の、入り口とあい対する正面に掲げられていた。センターに入るとすぐ目に入る格好の場所である。しかし、この場所は、午後陽が傾いてくると直接、西日が当たる位置にあった。年を経て、見るたびに幾分、墨色が変わったように見え、特に、落款の朱が退色したように見えてきた。このたび、佐久市教育委員会、天来記念館等が検討して、この作品を天来記念館に移動させることになったのである。

EXPO 70

「作品70—1」は、1970年に開催された、アジア初かつ日本最初の国際博覧会、「日本万国博覧会」(EXPO’70、大阪で開催されたので大阪万博ともいう)の美術展に出品されたものである。この万博のテーマは「人類の進歩と調和」(Progress and Harmony for Mankind) というものであって、開催期間は1970年3月14日~1970年9月13日(183日間)、日本では1964年の東京オリンピック以来の国家プロジェクトであり、総入場者数は6,421万8,770人(うち外国人 約170万人)で人数としては日本の総人口の半分が入場したという計算になり、人気パビリオンでは2-3時間待ちの大行列ができた。参加国は最終的には、77ヵ国(日本を含む)、4国際機関となった。万博会場の総合設計を行ったのは建築家の丹下健三であり、お祭り広場の大屋根をつらぬいて、高さ65メートルの岡本太郎デザインによる「太陽の塔」がそびえていた。アメリカ館ではアポロ計画で持ち帰られた月の石が展示されて話題となり、民間企業のパビリオンとしては、三菱未来館、日立グループ館などが人気を集めた。

万博の歴史

様々な物品を集めて展示する博覧会(国内博覧会)の歴史は1798年、フランス革命のパリでの開催にさかのぼる。1849年までにパリで11回開催され、徐々に規模が大きくなっていった。1849年、フランス首相が国際博覧会を提唱し1851年に第1回国際博覧会がロンドンで開催された。初期の万博として、クリスタル・パレス(水晶宮)が造られたロンドン万国博覧会(第1回、1851年)やエッフェル塔が建設されたパリ万国博覧会(第4回、1889年)などが有名である。日本が公式に初めて参加したのは幕末の1867年、幕府および薩摩藩と佐賀藩が参加したパリ万国博覧会(第2回)であり、1878年の第3回 には明治政府が公式参加をした。 明治政府や美術商による版画・漆器・屏風・刀の鍔(つば)などの出品でヨーロッパのジャポニスムを加速することとなった。 1950~60年代、戦後復興を遂げた日本社会は神武景気、岩戸景気、いざなぎ景気などの長期にわたる好景気に沸き、人々は繁栄を謳歌していた。日本がアメリカに次いでGNP(国民総生産。現在のGDP〔国内総生産〕)世界第2位に躍り出た70年に開催された大阪万博は、一足早く64年に開催された東京オリンピックと並んで、高度成長期と呼ばれた当時の時勢を象徴する国家事業だったのである。そして、伝統的芸術と並び具体美術協会や前衛芸術家など第二次世界大戦以来の規模となる芸術家らの国家イベントへの動員は文化・芸術界内部で批判があったほか、アメリカのベトナム反戦運動、徴兵拒否や米兵の脱走、パリ5月革命、中国の文化大革命など、世界的反体制の動向や学生の反乱、国内では全国的な大学闘争、そして1970年に予定されていた日米安保条約改定に関する反対運動(70年安保闘争)を、大イベントで国民の目からそらすものだとして、学生らによる反対運動も行われた。

万国博美術展

1970年の万博に美術館が建設され、「調和の発見」という総合テーマで古今東西の「人類の美術」を展望する国際美術展が開催された(万博美術館館長、富永惣一)。古代文明の黎明期から1970年の現代にいたる、これまでにない規模の美術展であった。「Ⅰ創造のあけぼの」には、新石器時代のタッシリ・ナジェールの岩壁画を始めとして、シュメール・アッシリア・古代エジプト・インダス文明・古代ギリシア・古代ローマや古代中国の商や春秋戦国・漢代、日本からは縄文・弥生・古墳時代の各種美術品、96点が展示された。「Ⅱ東西の交流」では、中央アジアのガンダーラ仏・トゥルファンや敦煌の仏像・唐三彩、日本は飛鳥・奈良・正倉院御物など73点。 「Ⅲ聖なる造形」では、仏教(日本は飛鳥・白鳳・奈良・平安・鎌倉時代の名品)・イスラム教・キリスト教(ビザンティン・中世キリスト教・ルネッサンス)など、宗教美術の名品171点(飛鳥時代の伝救世観音像や鎌倉時代の山越阿弥陀図、マルティーニ、フラ・アンジェリコ、ラファエロ、ティツィアーノ、ルーベンスなど壮観である)。「Ⅳ自由への歩み」は、中国宋代の徽宗や牧谿、元、明の董其昌・王鐸、清の金農など、日本は平安時代の鳥獣人物戯画、鎌倉、室町時代の雪舟、桃山時代の狩野永徳・長谷川等伯・俵屋宗達(風神雷神図など)、江戸の谷文晁・尾形光琳・宮本武蔵・池大雅・葛飾北斎・安藤広重・伊藤若冲など、また西洋では、ルカス・クラナッハ、レンブラント、ターナー、ドラクロア、モネ、セザンヌ、ゴッホ、ピカソなど。日本画で鉄斎・速水御舟・小林古径、洋画で安井曾太郎・岸田劉生・小出楢重・須田国太郎・藤田嗣治など、263点が展示された。

「Ⅴ現代の躍動」は、20世紀に入って、伝統的な美術の枠を越えた革新的・抽象的美術を中心としていた。世紀末のアンソールやムンクから始まり、マルセル・デュシャン、ピカソ、モンドリアン、カンディンスキー、キリコ、ダリ、クレー、エルンスト、ジャクソン・ポロック、マーク・トビー、カルダー、ヘンリー・ムーア、アルトゥング、フォンターナ、ステラ、イサム・ノグチ、ウォーホール、リキテンスタイン(ポップアートまでを網羅)、日本の美術界では斎藤義重、吉原治良、菅井汲、猪熊弦一郎、勅使河原蒼風、靉嘔、宇佐美圭司、高松次郎まで、129点であった。その中で、前衛書では、手島右卿「飛」、森田子龍「冲」、宇野雪村「昌」、そして南谷の「作品70-1」の4点であった。

万国博覧会

天来記念館の「作品70-1」

南谷の「作品70-1」はこの万博の美術展「現代の躍動Contemporary Trends」に出品を依頼されたものである。鳥の子紙にアクリル地塗りを施し、書いた時の筆の動きがそのまま定着する不思議な墨を用いて制作したもので、70年のこの時期には、すでに大胆で力強い線と強固な構築力を備えた作品は少なくなっており、いたずらな力みや衒いがなく、やすらかで瀟洒な作風へと移っている。しかし、万博での日本全国や海外からの観客を予想して、国内外に大きな反響を呼んだ60年代の活動の集大成として、南谷が力を傾注して書き上げたものである。制作の傍らにいた及川小汀(初恵)は、「スケッチは何枚も作ってね、この作品を書く時は、迷いなく一気に筆を動かし、特に右から左への横線はグウィーンとはらって、息をのむような迫力だった」と語った。 この作品は、「駒の里ふれあいセンター」では、かなり遠くから下から見上げるように展示されていた。南谷の筆の動き、立体的で深みのある線、線に現れる南谷の心は、現在、天来記念館にて間近に対面して味わうことができる。 なお、この時、同時に書かれた作品は、「作品70-2」として、東京都現代美術館に所蔵されている。
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