LIFE  − 生涯 −

比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷プロローグ 1.  誕生・子供時代
プロローグ 1

誕生・子供時代

1. 誕生

比田井南谷(名前は漸)は、1912(明治45)年2月1日、神奈川県鎌倉の扇ガ谷に生まれた。

誕生

父天来(1872~1939、明治5~昭和14年)は、 その全生涯を書道、 とりわけ中国書道の古典の研究・古法の究明に打ちこみ、“現代書道の父”と呼ばれる書家であった。そして母小琴(1885~1948、明治18~昭和23年)も、仮名書道界の第一人者として、平安朝の仮名書道を深く研究して独特な書作品を遺した人であった。

南谷は、いわば“書の家”ともいえる家に、 7人きょうだいの第4子(次男)として生まれた。写真は右が天来、その左で母小琴に抱かれているのが南谷、小琴の父。手前天来の左が次女千鶴子、左が長男厚、長女ゆり子(抱琴)、天来の書生だった比田井雄太郎。この後三男洵、三女慈子、四男徹が誕生する。

2. 子供時代

子ども時代は、父母の理解ある開放主義のもとで自由にのびのびと育った。小学校時代には絵に興味を持ち、担任教師の推奨で展覧会に出品して入選したりした。

旧制中学に入ると音楽に強く惹かれ、バッハからベートーヴェンに至る古典音楽に親しんだ。特に、弦楽四重奏曲などのヴァイオリン曲に傾倒した

子供時代

書道にも興味を覚え始め、天来の蒐集した古法帖を勝手に持ち出し、臨書を楽しむようになった。旧制中学の3,4年生の頃には、天来が代々木山谷に建設した書学院に出入りし自由に臨書を行っていた(上田桑鳩の「比田井南谷を眺めて」)。王羲之の「蘭亭序」の臨書はその頃の作品である。

3. 東京高等工芸学校

中学卒業後、天来の勧めもあって、東京芝の東京高等工芸学校印刷工芸科(現在の千葉大学)に進学、印刷技術と写真製版を学んだ。また、この工芸学校に入学と同時に、音楽家の内田元に師事してヴァイオリンの勉強を始め、才能が認められた。将来は演奏家としてオーケストラの一員に目された。南谷は両親から芸術的感性を受け継ぎ絵画や音楽に強い関心を示していたが、芸術家として自立するには、生活の糧を別に得なければならないという天来の教えを身に付けていた。そこで、将来の生活は印刷工芸の道を考えていた。また、神経質で内向的な性格は表に立つより、こつこつと丹念に仕事をすることに向いていた。

東京高等工芸学校

工芸学校での南谷の印刷や写真の実習作品には、後年の知的な構築性と抒情的な作品に通じる鋭敏な感性が感じられる。

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