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比田井南谷心線の芸術家・比田井南谷不思議な墨 1.  不思議な墨
不思議な墨 1

不思議な墨

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南谷は、書の芸術的本質が鍛錬された線による表現にある、との信念を生涯、一貫して持ち続けた。それを実証するため、線表現の方法にも様々な実験を試みた。早くは、1954(昭和29)年に「飛白」作品を発表している。飛白は、漢代の蔡邕によって発明され唐代の終り頃まで盛んに行われたが、それ以降はほとんど中絶しており、日本でも空海が一時期試みたが、ほとんど継承されていなかった。

1955(昭和30)年には、用材の実験のため、キャンバスに油絵具の作品を発表する。さらに1956年から第1回渡米する1959年にかけて、ボードにラッカーを塗ったり、水を引いた上に墨汁で書いてにじませたり、古い拓本の上に書いたり、ボード全面に油絵具を塗りタイヤの切れ端で飛白の筆法を用いて引っかいたり、様々なマチエールを試している。

線表現が作家の人間性を表すというためには、筆の柔軟な線の動きを紙面に定着することが必要となる。南谷が試行錯誤の後、発見したのは黒の油絵具にAベンジンを混ぜる方法である。墨のような粘りが少ないから、筆がよく伸び、しかも線と線の重なりも表せて、かなり忠実に筆線の動きを定着できる。「第5回サン・パウロ・ビエンナーレ展」には、この方法を応用して出品した。

南谷は、1957(昭和32)年頃、用材を様々実験する間にも、理想的な古墨を求めて蒐集を始めていた。ちょうど第1回渡米の直前、高い代価を払って中国の大きな風変わりな墨を手に入れた。箱には宋墨とあったが、それほど古い墨ではないと南谷は言う。

ある日、この古墨に他の墨を磨り混ぜたところ、不思議にもその墨液は突然分解されて凝縮した。試しに筆につけて書いてみると、線は前の油絵具とベンジンの場合と別種の、微妙で深いムーブマンを表した。それだけでなく、乾くと書いた時の筆線の動きがそのままの状態で紙面に定着した。それは、今まで夢想して実験を重ねていた線の動きを理想的に実現する墨であった。この発見に南谷は狂喜し、夢中になって追求的制作を行い、多数の作品が生み出された。この墨を用いた作品は、南谷の芸術的な線表現の力強さと深みを表し、日本でも海外でも驚異と称賛を巻き起こした。

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