文房四宝を楽しむ

せいひぞうぬし
清秘蔵主
早川忠文

筆4 後世への伝言(彫名の用と美)

最後に筆の穂の部分から軸の方へ目を転じて見ましょう。先ほど述べました文革前の唐筆の魅力の一つに、彫銘ほりめいの美しさがあります。彫銘はもともと筆の実質的な内容の記録と、書人の文人趣味や思想を筆名として筆管に彫り込んだものです。 市川米庵べいあんは「米庵墨談べいあんぼくだん」の中で「およそ文房中、筆ほど功ありて寿の短きものはなし。禿してのちは誰しも顧みず。棄てて土芥の如くす。たまたま、古人退筆を地に埋み塚となせしことあれど、その功労に報ずるの意のみにして、すでに埋みし上は、筆様筆名、或いは長短剛柔、如何なる者ありしや、さらに知るべからず」と述べ、唐から清に至る二百余種の筆を「米庵先生蔵筆譜」に編むに至る経緯を語っております。 まずは彫銘の役割です。彫銘は極めて端的に筆の原形の有様を伝えてくれます。
  • 形状(長短・剛柔・大小・号数等)
  • 等級(極品・神品・精品・珍品等)
  • 毛質(細嫩光鋒さいどんこうほう宿純羊毫しゅくじゅんようごう・兼毫・狼毫等)
  • 製造者名(筆匠・職人・専門店等)
  • 発注者・使用者名(用筆・清賞・愛玩等)
  • 使用目的(仮名・写経・条幅等)
  • 製造年月(元号・干支・孟仲季・月名等)
次に「筆名」です。これがメインになります。書学上達への想い、書表現の形容、書人の思想、文人趣味などや吉祥、さらには名筆の中の名句と、さながら墨場必携を紐解くようでもあります。「下筆春蚕食声」という唐筆の小筆があります。紫毫しごう羊毫ようごうとからなり、穂の腰の部分に赤い化粧毛を巻いた愛らしい筆です。繭を造る蚕が桑の若葉を噛むように食べ、葉の上を動き進むその音(声)と、墨を紙面にくい込ませながら筆が(流麗に運ばれる様を形容した美しい筆名です。 身近なところでは学童用の「研習」「白梅」「天神」や「右軍書法」「墨海騰波ぼっかいとうは」「霽月光風せいげつこうふう」「氷清玉潔」「群」「賢」「畢」「至」「福」「禄」「寿」「喜」「慶」「揮毫落紙如雲煙」、さらには仮名用筆の「秋萩」「玉づさ」「万葉」「古今」と数え上げればきりがありません。 さて、これらの文字を筆に彫る「彫銘師」と呼ばれる専門の職人がいます。筆を世に送り出すための最後を飾る大切な作業をします。貴重な技術であるにもかかわらず、その名が世に出る事はありません。まさに裏方です。 筆は彫銘で その品格が決まると言われています。その意味に於いて文革以前の老舗の唐筆の彫銘の力強さと、日本の職人の繊細な美しさ(玉蘭蕊(23)雅趣鳴寉先生用筆(24)清爽(25))は、用の域を越えた書美の世界であると言っても過言ではないでしょう。この美しさに出会った話があります。某専門店で使用済筆3本千円というコーナーがあり、そのうちの一本が目にとまりました。(海屋清賞(22)) 「海屋かいおく」の名前とともに彫銘の細彫りの美しさに感動し求め、さっそく鳩居堂さんに調べて頂いたのです。答は明治20年のカタログにはあるが30年のには無いとの事。彫銘-まさに「後世への伝言」であります。 総じて筆はもっとも直接的に書表現を規定する穂の部分と筆管とのバランス、さらに筆名や筆匠名などさまざまなメッセージとしての彫銘が加わる事により名筆が生まれる事になるのでしょう。 ぜひもう一度身近にある筆を見直してみてはいかがでしょうか。
今回紹介の筆
  • 海屋清賞(22)
  • 玉蘭蕊(23)
  • 雅趣鳴寉先生用筆(24)
  • 清爽(25)
最終更新日:2014年11月13日