「シリーズ・書の古典」(全30冊)のうち、『祭姪文稿・祭伯文稿・争坐位文稿(顔真卿)』と『離洛帖他(藤原佐理)』の二冊が刊行されました。

今日はその中から『祭姪文稿・祭伯文稿・争坐位文稿(顔真卿)』(石原太流編)をご紹介しましょう。

顔真卿(がんしんけい・709〜785)は、南北朝以来、代々学者を出してきた家系に生まれました。

幼いころ父を失い家庭は貧乏でしたが、刻苦して勉強し、26歳で文官試験に合格しました。

やがて官吏になって徐々に昇進し、中央のかなり高い位にのぼりました。

人柄は剛直で、遠慮がなく、上司に憎まれて何度も地方に左遷させられました。

晩年には反乱を起こした李希烈を慰撫する使者として敵陣に送られ、ついに殺されました。

 

顔真卿は楷書を中心に多くの名品を残しました。

初唐三大家の書が、知的な構成による美しく整った字形であるのに対し、顔真卿の書は力強く素朴です。

そして、「一碑一面貌」と評されるように、それぞれの書は書風を異にしています。

 

顔真卿の書の中で評価が高いのは草稿です。

「祭姪文稿」「祭伯文稿」「争坐位文稿」は「顔真卿三稿」と呼ばれ、真蹟および刻本の形で伝えられています。

 

 

祭姪文稿(さいてつぶんこう・758年)」は顔真卿が50歳のときの書です。

安禄山の乱で亡くなった甥の季明の祭文(死んでから二年後の祭のときに読む文)の草稿です。

肉筆が残っており、2018年に東京国立博物館の特別展「顔真卿−王羲之を超えた名筆」で話題になりました。

筆力の強さと構成の妙は、肉筆ならではの迫真力をもって見る人を圧倒します。

 

北宋の黄庭堅が「文章も書法も共に人を動かす」と言っていますので、本書に掲載されている現代語訳(伊藤文生訳)をご紹介しましょう。

原本のルビは、ウェブなので削除しています。

 

乾元元年(七五八)、戊戌の歳、九月三日、第十三番目の叔父にあたる銀青光禄大夫・使持節蒲州諸軍事・蒲州刺史・上軽車都尉・丹陽県開国侯である真卿が、神酒と神饌とを供えて、亡き姪、賛善大夫を追贈された季明の霊をお祭りいたします。

 

おもうに君は、抜きん出た資質を備えて生まれ、すでに幼児のころから才徳をあらわし、宗廟の瑚璉、あるいは階庭の芝蘭や玉樹のような貴く秀れた人材であった。つねに人びとの心を安らかにし、その幸福を願っていた。しかるに何たることか、逆賊(安禄山)が間隙を突き、兵を挙げて反逆しようとは。

 

君の父上(顔杲卿)は忠誠をつくし、常山郡の長官となり、私も天子の命を受けて平原郡の長官として任地に就いた。仁兄(顔杲卿)は私のことを気にかけ、君にその厚情を伝言させたのだった。君が帰ってから、(要衝地である)土門を奪還することができた。土門が開放されて、兇賊は大いに弱体化した。しかし、賊臣(王承業)が援軍を出さず、孤立した城(常山郡)は敵に包囲され、父は敵の手中に陥ち、子は死んだ。巣が転倒され卵まで破壊されてしまったのだ。

 

天がこの禍を悔いない(それは天命だ)というなら、いったい何者がこの激烈なる痛苦をもたらしたというのだ。君がこの残虐な目に遭ったことを思うと、たとえ百回死んで身代わりになろうとも、つぐなえるだろうか(できない)。ああ、何と哀しいことか。

 

私は天子の恩沢によって、河関の地(同州・蒲州)の長官として赴任した。(君の兄である)泉明が先ごろ再び常山の地に至り、君の首を収めた櫬を携え、今こうしていっしょに帰って来た。(傷つき血まみれとなった首を抱き)我が手で撫でると胸張り裂け、気も心も激しく戦慄するばかりだ。しかるべき期日を待って、君の墓を決めよう。君の魂が知覚できているなら、久しく見捨てられていたことを嘆かないでほしい。ああ、何と哀しいことであろう。どうかこの供物を受けてくれたまえ。

 

草稿なので、筆路がわかりにくいのですが、本書には骨書がついているので自信を持って臨書できます。

 

さらに巻末には「字形と筆順」もついています。

 

 

祭伯文稿(さいはくぶんこう・758)は祭姪文稿の一ヶ月後に書かれました。

顔真卿がその伯父、濠州刺史・顔元孫を祭った祭文の草稿です。

伝来する刻帖はどれも生彩がなく、残念です。

「甲州堂帖」からとりました。

 

 

争坐位文稿(そうざいぶんこう・765)は顔真卿56歳のときの書です。

時の右僕射・郭英乂が、百官集会の公式の席次を権力によって変更し、 古来の礼制を乱したことに対する抗議文です。

前の二稿よりさらに高く評価される傑作ですが、肉筆は失われ、宋代に刻されたものが陝西省碑林博物館に残されています。

 

後代の人の評を、『中国書道史事典』(比田井南谷著)から引用してみましょう。

 

黄庭堅は、この中には真、行、草書のすべてが備わっていると評し、明の盛時泰は「この書は天真爛漫で作意がない。これによって見れば、本当によい作品というものは、上手に書こうとしないで、しかも自然によいものになっているということがわかるであろう」といっている。

清の楊守敬は「行書は王羲之以後、ここに初めて新しい境地をきり開いた。いささかも外形を飾ることをしないで、もっぱら古勁な趣があらわれている」と評している。

 

「争坐位文稿」も、骨書を参考にして臨書してみてください。

 

 

最後に、天来書院から発行している顔真卿関係の書籍をご紹介したいと思います。

 

「大きな条幅手本」シリーズの一冊「顔真卿祭姪文稿・祭伯文稿・争坐位文稿」(關口皓方編)。

左が書影で、これを90度回転させて開いたのが右のお手本です。

お手本の天地は54cmで、そのまま条幅のお手本として利用できます。

上に穴が空いていて、カレンダーのように下げることもできます。

 

続いて楷書です。

テキストシリーズから、「顔氏家廟碑」(がんしかびょうひ・780年)、右は「麻姑仙壇記」(まこせんだんき・771年)。

 

シリーズ・書の古典から「自書告身・裴将軍詩」。

左の「裴将軍詩」は楷書、行書、草書の三体を交えて書かれた「破体書」あるいは「雑体書」と呼ばれる書体です。

どちらも臨書展で人気のお手本です。

 

「知られざる名品シリーズ」の中の「東方朔画賛碑」です。

かなり傷んでいますが、骨太で規模が大きく、昔から人気の高い書です。

 

天来習作帖」の中に、比田井天来の臨書があります。

 

 

比田井天来は、書作品の特徴を「熟」と「拙」に分けました。

「熟」の代表は趙孟頫、「拙」の代表は顔真卿です。

唐時代の終わりの書に新風を吹き込んだ顔真卿。

その書の全体を見直してみてはいかがでしょう。

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