あれは3年前のこと。筆の里、熊野町で大発見がありましたね。
比田井天来といえばこの写真!
いつもは上の部分しか使われなかったのですが、その下に「比田井天来先生 弊堂製筆御選定 昭和十年二月十三日」と書かれていることがわかったのです。
写真の所蔵者は竹澤堂・竹之内與一さん。広島県熊野町の筆匠です。この写真は、天来が依頼してあった竹澤堂製作の筆を、実際に試筆しているところだったのです!
熊野町の「筆の里工房」で開催された展覧会「破壊と創造 比田井天来・小琴、芸術書に捧げた生涯」には、竹澤堂さんが作った天来・小琴のための筆が5本展示されました。
ほかにも、天来・小琴と筆匠との交流を物語る貴重な写真や作品などが展示され、それはそれは興味深い展覧会でした。
そのときのブログはこちら。
そして、熊野町と天来といえば、なんといっても老舗、仿古堂さん。
現在のロゴ「仿古銘筆」は天来の書です。
天来や小琴の作品もたくさん所蔵されています。
これは比田井小琴が書いた「熊野まちの井原家をと(訪)ひておも(思)ふこころを」と題された作品。井原家は仿古堂さんのことです。
「秋と春には訪れたい」なんて、本当にここが好きだったのですね。
(しめじと松茸に惹かれたか?)
「なみたつ軒の数も知られず」とありますが、昭和初期の筆作りの盛んなさまが読み取れます。
現在の社長、井原倫子さんのおばあさまが、小琴の思い出をたくさん話してくださいました。
それだけでなく、上田桑鳩先生の依頼で、当時は非常識とも言える「先揃え」の筆を作ったときの苦労話も印象的でした。
何度も何度も試作を繰り返し、完成まで一年もかかったそうです。
DVD「筆を極める」には、天来と滋賀県の雲平さん、上田桑鳩先生と仿古堂さん、手島右卿先生と久保田号さんの、こだわりの筆作りのお話がでてきます。
そしてそして、このたび、広島県仿古堂さんの新商品「天来清玩」が、天来書院筆墨硯紙サイトのラインアップに加わりました。
仿古堂さんが保存してくださっていた天来愛用の羊毛筆を復元したものです。
天来が熊野町を訪れ、職人さんとの交流を深めた昭和10年は、天来が剛毛筆から羊毛筆に変える重要な時期。
その鍵をにぎるのが、この「天来清玩」というわけです。
ご覧の通り、比較的短鋒の筆。天来が好んだ形状です。
いろいろな方に試筆していただきました。
詳細はこちら。
独立書人団の常務理事・事務局長の山中翠谷先生は、ふだん長鋒の羊毛筆を使っていらっしゃいます。
「含蓄のある重厚な線が書きやすく、筆の開閉がとてもしやすいので大胆な線が書け、心の開放感が味わえる。」
奎星会会長の中原志軒先生。
「厚く豊かな線が引け、弾力的で旺盛な筆の活動が容易という点では、木簡、古隷には似つかわしい。爨宝子碑もいい。太宗温泉銘なども堂々とした造形美に加担してくれるだろう。顔真卿ら筆圧派にも魅力的です。
また短鋒だけに扱いやすいのも初学者には心強く、半紙、半切によく適いそうです。」
書宗院理事長の高橋蒼石先生。
「大は半切二行を書くのにちょうどいい。上質の毛を使っているので、腰があり、かすれなどの表情を出しやすい」
実際にこの筆で、天来を彷彿とする作品を書いていらっしゃる動画もあります。
長野県佐久教育会編「近代書道開拓者 比田井天来・小琴」という本があります。
天来と小琴が生まれたときから没後まで、周りの人々の証言を一年ごとにまとめた労作で、天来・小琴を研究するための必備書です。
この本の昭和14年(没年)の項に、次のような短文が載っています。
(天来は)年が改まると突然尿毒症を併発して、ほとんど昏睡状態に陥りました。たまたま広島から仿古堂君が見舞いに来ていましたが、寝ていながら、何か筆でも執りたいようなかっこうをしたので、さっそく筆を持たせ短冊を差し出したところ、無意識のうちにいく枚か意味のわからないものを書きました。(『信濃教育』・比田井南谷)
え? 天来が他界する前の日に、仿古堂、井原思斉さんがお見舞いに来ていらっしゃった?
まるで家族のような親密な交流ではありませんか!
昏睡状態だった天来が突然覚醒し、お見舞いに訪れていた筆匠、仿古堂、井原思斉さんの顔を見て、何か書きたくなったのでしょう。
十数枚の短冊や瓢に、次々と書き残したのは、文字にならない書であると同時に、新たな書の価値を暗示するものでした。
「理性を離れた状態において流露する自由無碍な筆致は、いまだかつて見なかったものであり、強いて言えば、潜在意識下におけるシュールレアリズムに近いものではないかと思います。
抽象書道への機縁は天来から与えられたものでしたが、さらにこういう書に接しますと、これからのもっと新しい分野の探求の鍵の一つが潜んでいはしないかという気がします。」(『書道』・比田井南谷)
比田井天来は生涯で二度、筆を変えました。
43歳のときに、羊毛筆から剛毛筆に変えて「俯仰法」を発見し、63歳の頃から羊毛筆に変え、それまでになかった筆法によって新境地を開拓します。
それを支えたのが、筆匠の情熱でした。
そして、没する前の日に、井原思斉さんの前で書いた「絶筆短冊」が、さらに新しい世界への扉を拓いた。
職人さんなくして、芸術の新しい展開はありえないと思います。
コストパフォーマンスばかりを目指す昨今、本当に価値あるものとは何なのか、考える必要があるのではないでしょうか?
ちなみに、9月30日午後6時まで、天来書院筆墨硯紙の販売サイトで、筆の割引セールを開催中です。
なんなのだ、この節操のなさは!