書の歴史の中で、北魏は異彩を放っています。「造像記」に見られる力強い楷書や「墓誌銘」「石碑」などが知られていますが、自然石や岩肌に文字を刻した「磨崖碑(まがいひ)」も見逃すことができません。

北魏時代の摩崖碑を代表するのが『鄭羲下碑』です。

 

鄭道昭(ていどうしょう・?〜516)は土地の有名な貴族の出で、少年時代から学問にすぐれ、国子祭酒(国立大学総長)の位にまで達しました。地方官としては「光州(山東省掖県)刺史」となり、その地に在任中、山々の岩壁や自然石に多くの字を書き残しました。

 

一番たくさん文字を書いたのが雲峰山(うんぽうざん)です。

 

正面の山が「雲峰山」。麓から途中までは樹木が生い茂り、頂上近くは岩山になっています。

 

仙人が棲む神秘の山です。

 

麓近くに「鄭羲下碑(ていぎかひ)」があります。自然石の表面を平らに削り、そこに文字が刻されています。

 

これが拓本です。(寰宇貞石図)

 

「鄭羲下碑」は鄭道昭が、父、鄭羲の徳を称える文章を刻したもので、鄭道昭の作品の中で、もっとも有名です。龍門造像記は名もない人の書ですが、鄭道昭は父とともに学問をもって名があり、最高の教養を身につけていましたから、この時代の書を代表する書の一つと言ってもよいでしょう。

 

清の包世臣は「篆書の筆力、隷書の韻致、草書のおもしろさが全部含まれている」と言い、葉昌熾は「単に北朝書道の第一の傑作であるばかりでなく、楷書始まって以来の第一の傑作だ」と、最高の評価を与えています。

 

「これは褒め過ぎであるが、筆力が強く、大きくうねって立体感があり、結体も大きく空間を抱いて雄大な気分を出している点は、北魏第一といってよいと思う。」(比田井南谷著『中国書道史事典』

 

とはいうものの、今の活字体と異なった形の字が多く、臨書は簡単ではありません。

 

これは比田井天来の全臨集『学書筌蹄』の「鄭羲下碑」を臨書した部分です。(『学書筌蹄・抜粋第二集』)

上の原本の二行目4字目から始まっています。

 

その中で、二行目最下部「善」、三行目最初の「職」、次ページ二行目の「漢」、三行目の「当(當)」は現代の活字とは違っていますが、これが当時書かれた字形です。最後の行頭「節」。竹冠が草冠に書かれることは、当時は普通に行われていました。

新刊「シリーズ・書の古典」の「鄭羲下碑」(中原志軒先生編)には、こういう説明もあるので安心して臨書できます!

 

さてさて、ここ雲峰山にはほかにも鄭道昭の傑作が残されています。

 

巨大な「論経書詩(ろんけいしょし)」は、昔あった地震のせいでちょっと傾いています(こわい)。

 

雄大な書です。大好きです♡ (テキストシリーズ『論経書詩』

 

鄭道昭の題字小品「当門石坐題字」。まわりに鉄柵があるので、影が見えます。(2000年当時)

 

これもおもしろい書ですね。鄭道昭はここに座って、ゆったりと下界を眺めたのでしょう。

 

 

山門題字です。栄陽鄭道昭の山門なり。ここに遊止す。

 

 

右闕題字です。

 

私が山東省に行ったのは西暦2000年。当時は天柱山には階段がありましたが、雲峰山はまだ整備されていなかったので、岩壁を登るのがとってもたいへんでした。でも、苦労して登っていくと、いろんなところで、こんな面白い文字に出会うんです。

それはそれはすばらしい体験でした!

 

頂上まで登るとこんな風景を見ることができます。

 

『鄭羲下碑』はもちろんすばらしい書ですが、鄭道昭の題字もまた表情があって、私が大好きな古典の一つです。

それぞれの形のまま臨書するのもおもしろいと思います。(南谷はよくやっていました)

興味のある方はこちらからどうぞ。

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