呉大澂『恒軒吉金録』(前編)

009-P0675-s.jpg日下部鳴鶴旧蔵。上下2冊・唐本仕立て・木版本。全134丁、268ページ。

題箋(日下部鳴鶴書)

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日下部鳴鶴旧蔵。上下2冊・唐本仕立て・木版本。全134丁、268ページ。


封面(呉大澂書)

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呉大澂は、道光15年(1835)に江蘇省蘇州で生まれ、光緒28年(1903)、郷里の蘇州で亡くなっている。初め、名を大淳といったが、後に穆宗・同治帝(在位1862〜1874)の諱を避け、大澂と改めた。字は止敬、号は清卿、愙斎、恒軒、雲山樵などがある。室号、齋号に止敬室、師籀堂、十六金符齋などがある。18歳の時、南京での郷試に合格。同治年間に進士に合格し、37歳で初めて幹林院編修という官職に就いた。その後、太僕寺卿、弁北洋軍務、広東巡撫、東河総督、湖南巡撫などを務めた。呉大澂の時代は阿片戦争、太平天国の乱、日清戦争、義和団の乱などが起き、動乱の時代であった。彼は官吏としても大へん有能な人物で、ロシアとの国境紛争の処理、マカオの帰属問題でポルトガルと争ったり、黄河の決壊、氾濫をせき止めたりした。

呉大澂の序文


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光緒20年(1894)日清戦争が起き、湖南巡撫であった彼は軍を率いて、山海関付近で日本軍と戦ったが、翌年、遼東で敗れている。光緒24年(1898)彼は罷免され、官を退くのを契機に金石学、文字学の研究に専念した。
呉大澂の著書としては、鐘鼎青銅器、古璽印、古陶器などに遺る文字を蒐集・分類し、説文にもれた古文籀文を補なうという意味で上梓された『説文古籀補』。各種鐘鼎彝器の銘文を拓本に採り、分類整理した『愙斎集古録』。歴代の度量衡制度を比較考察し、纏め上げた『権衡度量実験考』などがある。また、書作品の著としては『篆文孝経』『説文部首』『宋周真人廟碑』などがある。

今回紹介する『恒軒吉金録』は、呉大澂が所蔵していた古銅器または古銅器の拓本と、自家蔵以外の名古銅器拓本を、種類別に纏めて器形を細密な木版刷りにして刊行されたものである。

この帙入り上下2冊唐本仕立ての本には、高田竹山による『恒軒吉金録釈文補正』というコヨリ綴じの小冊子が挟み込まれている。

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第一行、表題の下の印は鳴鶴の収蔵印「鳴鶴秘笈」(柳川雲巣刻)。


009-P0680-s.jpg ・鐘(ショウ)は楽器。宴会に使用し、大小十数個並べて演奏することもある。
・鼎(テイ)は炊器。現在の鍋にあたる。魚、肉を煮るか盛り付けるのに用いる。ここに紹介の器は大盂鼎と呼ばれ、器の中に鋳込まれた銘文は蓋し名品である。

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