「節と曲について」

zeami.jpg『世阿弥の稽古哲学』という本について、

少し書こうと思い立ったのだが、

一言でいえば大変密度の濃い労作で、

読み返すところが多いため、

まだ通読も果たしていない。

実に手ごわい内容であり、

要領を得た概説など、

とても出来る段階ではないので、

「節と曲について」といった点に絞って書こうかと思う。

そんな程度で何故取り上げる気になったかというと、

極めて刺激的で魅力的だから、とお答えするしかない。

私にとっては、玉手箱のような一書である。

「「節と曲について」」 つづく

映し出されるココロ

筆を持つときに、何も考えない状態でいることは大事だ。

そうすることにより「ひらめき」だとか、何かが、

向こう側からやってくることを感じられるようになってくればいい。

何も感じられないとしたら、それはそれでまずいことなのである。

"映し出されるココロ" つづき

なぜ上達しないのか?

書が上達しない最大の理由は、

自分で自分を変えられないことである。

誰のせいでもない。

自縄自縛の状態から抜け出せるように、

一本でいいからとにかく生きた線を引こう、

という意気込みをもたないと、

何百枚何千枚と書いても何も変わらない。

"なぜ上達しないのか?" つづき

線の「温度」

私はよく線の「温度」のことを言うが(熱っぽい線か、冷ややかな線か)、

もう少し言えば「エネルギー」のことで、

線にエネルギーがあるかないか、ということになる。

作品としての雰囲気を追い、それなりに仕上げることと、

作品がエネルギッシュかどうかは別の問題である。

 

"線の「温度」" つづき

魚沼展飾りつけ

一郎家 277-1.JPG

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

7月4日、「桑原翠那遺作展」飾りつけのため、新潟県魚沼市に赴いた。

魚沼市で展覧会を開くのは、翠那の米寿展以来のことと記憶しているが、

翠那の米寿は平成4年のことであるから、約20年ぶりということになる。

 

 

"魚沼展飾りつけ" つづき

書宗院展・桑原翠邦遺作展

7月に行われる二つの展覧会をご案内したい。

 

ひとつは毎年恒例の書宗院展である。

今年で54回を数える本展は、半切による古典臨書を貫いている。

現代において、ある意味では異色ともいえる展覧会であるが、

徹底した古典臨書に磨かれた筆力が放つ表現の幅広さ、奥深さは、

翠邦が立ち上げた第1回展より約半世紀を経た今も色あせることはない。

 

"書宗院展・桑原翠邦遺作展" つづき

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