書を学ぶための書物(9)──詩歌のアンソロジー2
たとえ書作品を書こう、と思っていなくとも、詩歌のアンソロジーをパラパラめくっているのは楽しいものです。
墨場必携としても使えそうな詩歌のアンソロジーをもう少し紹介しましょう。
ただし、文芸作品を題材にした書作品を販売する場合や公募展に出品する場合、没後50年を経ていない作家の文学作品は、文芸家協会の許可を得なくてはいけないことになっています。お忘れなく。
http://www.bungeika.or.jp/procedur.htm
●『春秋の花』(光文社文庫)
小説『神聖喜劇』で知られ、先ごろ亡くなった小説家の大西巨人氏の編んだアンソロジーが本書です。歌句に加えて小説やエッセイの一節からも取られています。季節ごとの配列で約350篇。解説として添えられた短いエッセイが大西氏の独壇場でこれがまた面白い。
今朝の朝の露ひやびやと秋草やすべてかそけき寂滅の光(伊藤左千夫)
●坪内稔典『季語集』(岩波新書)
「三月の甘納豆のうふふふ」で知られる俳人による季語ごとに配列したアンソロジー。300の季語には新しく著者によって提案されるものも含まれています。
例えば「あんパン」は春の季語、
杜子春の味のあんパン鳥曇(塩見恵介)
「サーフボード」はもちろん夏です。
くちづけのサーフボードは横向きに(黛まどか)
秋には「ハロウィーン」。日本にも陰暦十月の亥の日に行われる亥の子という風習があるそうです。
ハロウィーン百のかぼちゃが声あげて(屋部きよみ)
●塚本邦雄『百句燦燦』(講談社)
詩歌の作品化には何より読み込みとその歌句への愛情が必要なのではないかと愚考しますが、著名な歌人による現代俳句の鋭い読みが光っているのが本書です。
「花は變」芒野つらぬく電話線(赤尾兜子)
この句の塚本氏の解説はこう始まります。「このやうな「花」は世阿弥も思い及ばなかったらう」。このような一種禍々しい味わいの句を書にしてみるとどんなものになるでしょうか? この本は杉浦康平氏によるブックデザインも手の切れるようなかっこよさなので、ぜひ手にとって見てください。
●『現代俳句の世界』(朝日文庫)
全16巻の文庫版現代俳句集成。詩歌との出会いは一期一会のようなもので、いくら目を皿のようにしても頭に入ってこない時には読み過ぎてしまいます。本の体裁やレイアウトによっても好みは変わりますし、そういう意味ではたとえ同じ詩人でも、アンソロジーは何種類持っていてもよいのです。
月赤し モーゼのごとく 立ちつくす(富澤赤黄男)金色に茗荷汁澄む地球かな(永田耕衣)野に寝れば髪枯草にまつはりぬ(橋本多佳子)月あびてゐたるわが手を見出しき(加藤楸邨)
こうした句を読んでいると、本当に俳句というのは不思議な詩型だなあと思います。情報圧縮、という表現がありますが、永田耕衣などまるで禅問答です。ところが何か「パチン!」と弾ける時があって、しつこい残像のようにその句が忘れ難くなります。そのようなところは書のあり方にも似ているのかもしれません。
いくつか個人の句集も挙げましょう。
●『芭蕉七部集』(岩波文庫)
芭蕉が門人たちと編んだ代表的な句集をまとめたものです。
月の宿書を引きちらす中に寝て(越智越人)
「書」とは本のことです。
●『久保田万太郎全句集』(中央公論社)
小説家・戯曲家として知られた久保田万太郎の全句集です。「湯豆腐やいのちのはてのうすあかり」が有名でしょう。
ながれゆくものの迅さや秋出水萩は萩、芒は芒、西日かな猫けふで三日かえらず鰯雲
さあっと流れてゆくような風景と年月を感じさせる句です。
すこし歌も紹介します。源実朝は鎌倉三代将軍ですが、京の文化に憧れ、藤原定家に歌の添削を頼んだりしています。若くして暗殺されてしまうのですが、夢を見て宋に渡る船を建造したり、非常にロマンティックな気性を持っていたようです。最近、坂井孝一氏の『源実朝「東国の王権」を夢見た将軍』(講談社)が出てこれからそのイメージが変わっていくのかもしれません。斎藤茂吉が愛した歌人でもあります。寂しいけれど、月の歌が美しい。
●斎藤茂吉校訂『金槐和歌集』(岩波文庫)
秋の夜の月の都のきりぎりす鳴は昔の影や恋ひしきあまの戸を明けがたの空になく雁の翔の露にやどる月かげ
古賀弘幸
書と文字文化をフィールドにするフリー編集者。
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