2009年12月22日
美しい煙
私の自動車通勤途上で、ひとつ大変楽しみにしていることがあるが、これは年に2、3回ぐらいしか味わうことができない楽しみだ。利用する高速道路(アウトバーン)が巨大な化学工場群の敷地のすぐ横を走っているが、道路に隣接した煙突から吐き出される煙が、すばらしく美しく見える朝があるのだ。
これはきびしい条件が揃わないと起こらないイヴェントである。第1にすばらしい快晴であること。第2に気温が相当低いこと。零下が望ましい。第3に時間がぴったり合い、冬の遅い夜明けの太陽と、工場の煙と、私の車が完全に一直線に並ぶこと。
煙のバックに抜けるような青空が是非欲しい。気温が十分に低いと煙突から吐き出される煙の水蒸気分が空中の水滴になって、雲のような巨大な白煙がもくもくと立つのだ。そして太陽の光が白煙を透過して私の目を楽しませる。雲の縁が明るく輝き、部分ごとに濃淡がつき、立ち上る熱い煙が冷え切った外気に触れ陽炎(かげろう)を起こして、ゆらゆら動いて太陽の光を散乱させるのだ。
こうなるとあまりの見事さに絶句してしまう。心が震えてくる。何という美。しかしアウトバーンに停車する訳にもいかず。ほんの数十秒の美しさを心に刻んでお仕舞い。そのあとは幸せの余韻に浸る。
工場敷地と道路の間には林があって、背の高い樹木が工場の大半を隠してしまい、その林ごしに煙を眺められることにも趣きがある。
こうなると工場の煙が有害なものであるかも知れない、などということは忘れてしまう。いやむしろ有害なものであるとの意識と、美に感動する意識とが妙な並存をするのだ。対照の妙と名づけるべきかはわからない。美しくてあたりまえ、というものを安心して見るときに比べ、はるかに先鋭的で緊張感をはらんだ美しさだ。
これを写真に撮りたいという願いは数年前からあったのだが、何せイヴェントが突然発生するので、準備できない。1年前の冬のあるとき「それ」が起こった。偶然カメラが運転席にあったが、同乗者は居ない。決死の覚悟で時速100キロ近い車を運転しながら煙を液晶場面に捉えた。ファインダー式のカメラでは無理だろう(笑)。結果は下の写真であるが、これがあの美しさをほとんど伝えていないので、掲載にさいしては、やや気がすすまない。
昨年の冬。夜明けの高速道路。道の路肩にはこの辺では珍しい雪が・・・。
わっ! 今日は煙が! カメラがあるぞ! いそげ!
少し近づきました。カメラは雪景色でも撮ろうと積んでいたように記憶します。
かなり近づきました。道路左端と工場の間には緑地帯があって、背の高い木の林になっています。
一番近づいた状態。見上げるような角度になっています。
(終り)
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