「現代書道の父、比田井天来」によせて

比田井和子さんの新著「現代書道の父、比田井天来」を拝読しました。

なによりも、豊富な写真がうれしく、簡潔な文章とあいまって、短時間で天来の生涯の全貌と芸術的核心をつかめるという点で大変有り難いものです。

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この本で繰り返し強調されていることに、天来が小学生のころから書の古典を独習し、臨書に没頭し、生涯それを続け、自らの芸術の原動力とするとともに、周囲の人々にも一貫して古典とその臨書の大切さを説き続けた、ということがあります。このことには私自身にもかかわる部分があるので、少し書かせていただきます。

 

  天来の子、南谷は私の伯父にあたり、私は子供のことから南谷のアトリエに入り浸り、そこに座り込んで、よく真空管アンプの装置でレコードをかけてもらったりしました。そこで聞かされた話には伯父の芸術観、芸術的信念がたっぷりと含まれていました。それが繰り返し繰り返し語られるうちに、私の心の奥底に刷り込まれていったようで、後に音楽家として活動するようになっても、この時期に聞かされた「古典の大切さ」という考えに強く支配されています。そして私は日 々音楽の古典的名作に接しては、その美しさ、すがすがしさ、核心をつく表現に息を飲み、何度も目を開かれる思いをして、新たな仕事に向かう活力をそこから得ています。

  古典を徹底して学ぶことが創造につながる、という考えはいつのまにか私自身の信念となりましたが、これは南谷伯父からもたらされた大きな贈り物のひとつです。しかし今回和子さんの新著を読んで、この考え方にはさらなる源流があるということを確認しました。それは天来の生涯とその芸術的実践から流れ出し、南谷の一生を貫き、さらに私に流れ込んでいた、ということを知って感慨ひとしおでした。自分の精神的「ルーツ」のひとつを発見できたのです。

 もっとも「古典の価値」などというのは、芸術の世界ではあたりまえのことでしょう。しかし同じ思想でも大芸術家の親子の二代をかけて、骨身を削るようにして書かれた臨書の山と、それに根ざした創造的偉業を背景として、生(なま)の言葉で身近に語られた場合は、ずしりと身に応える重さとなります。



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比田井南谷

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