微熱にうるむ野 〈初夏の十日 その1〉

2017年6月1日

 

 陽射しはすっかり夏の色になりました。

 

 

“ ダーレ ダ? ”

    これは… この しっぽ!

  

 

“ ヘヘ アタリ!”

 

 台湾リスは神奈川県南東部一帯にいます。鎌倉あたりでは街中で会うこともあります。

 いつも元気でナニゴトか頑張っている風情。

 活力があります。

 

 気温が高くなり、暑さに湿度が加わってくると、日の光がこれほど鮮やかでも、

 思うことは、雨の季節の近いことです。

 

  鎌倉市 妙本寺

 

 これからの時期、雨の中にも咲く紫陽花の季節に、関東近縁では北鎌倉の禅興寺の塔頭

 明月院が紫陽花寺として有名ですが、鎌倉地域の地質や湿気の多い気候は、もともと

 この植物に適しているのでしょう、明月院に限らず紫陽花は多く、いろいろな種類が

 見られ、どこのものもきれいです。

 

  山紫陽花

 

 紫陽花にはさまざまな品種があるようですが、

 ガクアジサイの仲間は全体に花期が早いようです。

 梅雨に入る前のこの時期に、もう、いろいろな姿で見かけます。

 

山紫陽花

 

 日本に昔からあった品種はこのガクアジサイの類です。

 葉も茎も細く、全体に小振り。集まって咲く花も盛り上がらず平たく咲きます。

 やさしい姿ですが野趣があります。

 

 平安時代の漢和字典『類聚名義抄』には「アヅサヰ」の読み方で見えています。

 『大言海』はこれをもとの形と考え、「集(アヅ)+真藍(サアヰ →サヰ)」

 の意味であろうという語源説を挙げています。

 小さな藍色の花の集まりである  という見方です。

 

黒姫紫陽花

 

 和歌ではよくこの花の姿を写して、「よひら(四枚・四片の花びら)」の花と

 表現しています。

  夏もなほ 心はつきぬ あぢさゐのよひらの露に月も澄みけり  釈阿(藤原俊成)

 

 ガクアジサイの外輪の、ひときわ目を惹く四枚の萼(がく)を

 指したものと見当がつきます。 

 

山紫陽花

 

 「万葉集」にはすでに詠まれているのに、和歌の黄金期であった平安時代中期に

 あまり歌が残されませんでした。

 10世紀始めに成立して以来、和歌の規範と仰がれた「古今和歌集」が、この花を

 取り上げていなかったことも、その後の作歌事情に影響したものと思われます。

 

山紫陽花

 

 ガクアジサイの仲間は多種多様にありますが、みなきれいなのに何となく地味。

 野原の茂みに、野草に混じって咲いているのも自然です。

 

    都忘れ

 

 間もなく雨の季節になりますね。

 

 古代は、緑が繁り、梅雨に入る前のこの時期が、野遊びのシーズンでした。

 野遊びには、盛んな自然の気を一杯に身に受けることとともに、

 必需品であった 薬草採集の目的がありました。

 

 薬草は乾燥させて薬玉(くすだま)として備えます。

 この時期に、その薬玉を新しいものに取り替えるための薬狩

 (くすりがり・薬草摘み)をしたのです。

 「万葉集」の有名な歌に「あかねさす 紫野行き 標野行き…」と歌われたのも

 この時期の野遊びです。紫野は朝廷が薬草ムラサキを栽培していた野原です。

 長い雨に降り籠められる前の、外遊びの楽しみではありました。

 

 

谷空木(たにうつぎ)

 

  浄智寺では、お馴染み 職員ねこ の ジョーチ君が

 

“ ミギ ヨシ ”

 

“ ヒダリ ヨシ ”

 

“ ヨシ ”

    何の点検 ですか。

“ …ン…… ”

    職員さん お履き物は  この季節は温めなくてもよいのでは?

 

  お天気の好いうちに 私は干し物をしますよ。

  ジョーチ君のお仕事は何でしょう。

  今のうちに  何をして遊びましょう。

 

紫先代萩

         

 

齊墩果(えごのき)

 

 

 天皇、蒲生野に遊獵(みかり)したまふ時、額田王(ぬかだのおおきみ)の作る歌 

   あかねさす 紫野(むらさきの)行き   標野(しめの)行き

   野守(のもり)は見ずや   君が袖(そで)振る

 

 天皇遊蒲獵生野時、額田王作歌 

   茜草指   武良前野逝   標野行

   野守者不見哉   君之袖布流

            「万葉集」巻一 20

 

 紫草の生えている野原、御料地の野をあちらにゆき こちらにゆき…

 まあ、野守が見はしないでしょうか、そんなに袖などお振りになって。

 

 

 

 

横浜市旭区こども自然公園

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