何かいいこと 〈なんでもない十日 その1〉

2017年5月5日

 

    何の手入れもしない庭にも時が来て、木香茨(モッコウバラ)が花ざかり。

    トゲのないやさしい黄色の花びらが、五月の陽射しに柔らかくとけています。

 

 

 

    世はゴールデン・ウィーク。連休です。

 

 

        我が家の薔薇はほとんど年中絶えません。

        早い秋に咲いて、12月の中頃にまた咲いて、

        たしか、春のお彼岸の頃にも咲いていた。

        そして今また大きな蕾をたくさん付けています。

 

        とかく休みたいナマケモノ人間もいるのに、

        こんなに華やかな姿で、何か 勤勉な感じの我が家の薔薇。

 

 

        身内ながら、ちょっと尊敬いたします。

 

 

 

   下の道路で立ち止まって、生け垣から溢(こぼ)れる薔薇を見上げているネコさん。

   何も付けていませんが、多分この近くのお家の飼い猫です。

 

 

            “ オサンポニ  キマシタ ”

 

       階段をちょっとのぼって、お庭に来ないかな、

                        ほかのお花も咲いてます。

       それに、家にもふたり にゃんこが いるんだけど…

 

             “ ドウシヨウカナ ”

 

   しばらく考えているようでしたが、知り合いでしょうか、通りすがりの小父さんが

   呼ぶと、そのあとについて、階段の前をトコトコ過ぎて行きました。      

 

 

                     “ イイモノ ミツケタ  ”

 

    親戚にお祝い事があって、お菓子折の一番上の段に、祝い鯛も来ました。

    しばらく眺めて 食べます。

    眺めているところをひたちに発見されて、

 

 

         “ コレ  イイカナ ”

 

     ひたち君には、もっとイイモノあげるから、コレはやめておきましょう。

 

 

   窓に近い、陽のよく入るソファの端、猫さま席にはみやが昼寝。

   庭の下の道まで、散歩猫が来ていたことも知らずに日なたに溶けています。

 

 

       “ オキタラ  ビンチョーマグロ  タベル カラネ  ”

 

        鮭にして下さい。冷蔵庫にあるから。

 

   みやは和菓子の鯛には何の関心もありません。ちょっと近づいて見て、

 

       “ フーン オイワイナンダネ ”

 

   と言っただけ。

 

   好い天気で、暖かで、庭に花が咲いて、急ぎの仕事はない。

   今日はどこにも行かないで、マグロを買いにも行かないで、

   お布団を干し、庭の草取りでもしていたいと思うような、私には長閑な日。

 

 

   この一人ひとりの長閑な日々は、

   実は智恵と力がないと守られないものであることを、

   最近の世界情勢の報道を見ると、今更ながらのように思います。

 

   争ってはいけないという、それは誰にも反論できない倫理道徳。

   それだけを楯に、守る手立てを持つことが反道徳であるように主張されることに

   押されて、その結果、外の国が許可することで偶然成り立ってきた平和を

   享受してきた。

 

 

   ゴールデン・ウィークは5月3日、憲法記念日に、話題となっている憲法前文を

   読んでみましょう。

   そこには、崇高な戦争放棄の決意が宣明されていると言う。

   その文章の事実はどうなっているかといえば、

 

      「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を

       保持しようと決意した。」(日本国憲法 前文より抜粋)

 

   などと、あります。

   この基であるGHQの草案を見ると、言葉の意図は更に明らかです。

      「我等ノ安全及生存ヲ維持スル為  世界ノ平和愛好諸国民ノ正義ト信義

       トニ依倚センコトニ意ヲ固メタリ」

      (we have determined to rely for our security and survival upon the

       justice and good faith of the peace-loving peoples of the world.)

 

   こんな一文でもきちんと読んでみると、まことに不思議なことが書いてある。

   国民の安全と、生存とを、自分の国ではなく、世界の他の「平和を愛好する

   諸国民」の善意に「依倚す( rely:頼ってまかせる)」というのです。

   「諸国民の公正と信義」は誰が保証するのでしょう。誰が責任を持ってこんな

   ことが言えたのだろう。何かいいことっぽいが、うわべ美しいだけの実のない

   言葉ほど嫌なものはない。それは偽善です。

 

   尖閣諸島には中国の軍船が押し寄せてきている。島根県の竹島に別の名前を

   付けて自分の国の領土だと教え、従って日本の方が侵略していると、子供の

   教科書にも記す国がある。また、はっきり今日本に向けたミサイルの発射準備

   をしている北朝鮮のような国もある。

   しかしそれは、それぞれの国の “ 自由な判断 ” です。その国が自分の安全と

   生存とを賭けた、その国なりの判断です。

   日本の安全と日本人の生存のために、日本が考える “ 公正と信義 ” を行う

   義理など もとより他国にはないのです。

 

  

       “ モメテル ジカン ハ ナイネ  サキニ ダイジナコト キメヨウ ”

                “ イマ クニ ヤブレルト サンガ モ ナイダロウ ”

          “ マグロ トカ  シャケ トカ  イッテル バアイ ジャナイネ ”

        “ …ホントハ  マグロ キボウ ダケド…… ダイジナコト ハ  ワカッテル  ”

 

    猫には偽善がありません。

    偽善ほど嫌なものはない。

 

 

          風は そらを吹き

          そのなごりは 草をふく

                       宮澤賢治「おきなぐさ」より

 

 

 

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