神楽 〈神に逅(あ)う 十日 その2〉

2017年4月23日

舞岡八幡宮例祭 湯花神楽(まいおかはちまんぐうれいさい  ゆばなかぐら)2

 

 

  神殿の奥であがる祝詞(のりと)が境内にも ほそく聞こえます。

  遠いので言葉は分かりませんが、心なしか、曇りのない、清明なお声です。

 

 

   乾元元年(1302)三月、白旗が空に舞うという不思議が起きたことに因んで、

   「舞岡」という名は付き、石清水八幡宮が勧請されました。

   その白旗は高く遠く舞い上がって、中郡落旗村(今の秦野市鶴巻)に降りた、

   と伝わります。

 

   ここ舞岡八幡宮は、戸塚宿舞岡の里山の中にひっそりと坐します。   

   普段は無人のお社ですが、昔からの祭祀を守って欠かさないところのようです。

   例祭のこの日、神職の人々や雅楽の奏者は殿の上に、

   神殿の下には大勢の氏子の人たちが、お祭り事に奉仕しています。

 

 

 

   今の暦に直していますが、毎年4月15日に行う「湯花神事(ゆばなしんじ)」は、

   およそ八百年の間絶えず、同じように行われ、今年もまたその日が来たのです。

 

 

    昔ながらの敬虔なしきたりを脈々承け継いで来られたこの地元は、

    まことにありがたい地域です。

 

 

   境内の庭には大きな湯釜がかかり、薪の火から薄い煙がゆるくのぼり、

   薪の燃える香ばしい匂いがあたりに漂っています。

 

   社殿で神事が執り行われているうちに、境内には、続々人が集まります。 

   子どもたちの声が響き、辺りはまさにお祭りの庭の賑やかさになってまいりました。

 

    見上げれば、風に、山の桜の花びらが交じって宙を舞っています。

    木漏れ日が当たり、時に 花びらは空中できらきら光ります。

    ここは神さまのお庭です。

 

 

    神殿のお祀りがすんで、神職の人々が退出します。

    祭祀に引き続いて、境内の湯釜を前にお神楽が始まりました。

 

 

    まず御挨拶

 

    右手の神楽鈴の高い独特の音色が響きます。

    賑やかに、神さまに始まりをお知らせするようです。

 

    基本的に右方向に、ゆっくり同じテンポで回ります。

    ぐるぐる回る、それが「マウ(舞う)」という動作。

    「マイ(舞)」の語源です。

  

 

   お神楽を取り巻く見物の人たちは、舞の座から1メートルも離れていません。

 

   神楽鈴を置いて、その次は白扇を広げた上にお米を盛り、

   少しずつ こぼしながら舞うお神楽でした。

   お米を零すのは、何か、恵み・恵福の行為なのでしょう。

   舞の終盤では、舞いながらお米を摘んであまねく四方八方に撒(ま)きます。

 

 

    何番か舞うと、途中で舞装束を一度解いて、湯釜の中を伺います。

    この時の気泡の立ち方で、昔は吉凶を占ったと言います。

 

    お神楽は続きます。

 

  そのあと、何番目かの舞には弓矢の所作のある舞いもありました。

  小さな簡素な弓ですが、よく撓り、若竹で作られた青い矢がピュンと飛びます。

  四方は本当に射て、天と地は所作だけ。

  魔除けの営みですが、さすがに天地には射かけることはないのでしょう。  

  四方を射た、その竹の矢を受け取った者には、一年の御加護と福とが授かると言う。

 

 

    そして、神楽の次第が進んで、ふたたび湯釜の神事です。

 

    湯釜をかき回した篠竹の束にお湯を含ませて、周りにその滴を振りまきます。

 

 

    この滴(しずく)も神さまゆかりのものですから、触れると御加護があるのです。

 

    いよいよ最後の番は天狗のお面で

 

 

    コワイ と言っている子どもたちがかわいい。

    昔も村の子供はこうしてお祭りごとに天狗様を怖がっていたのでしょう。

 

 

   長いお神楽でしたが、ふと足許を見ると、蟻がお米を引っ張っています。

   早い番のお神楽で舞手が撒いた撒米(さんまい)です。

   蟻にはまさしく恩恵のお米でしょう。

   お米ひと粒でも蟻の体には大荷物で、簡単には動かせないようでしたが、

   何匹もが、努力して、それぞれお米を運ぼうと頑張っていました。

 

    この蟻たちは、この恵みを仲間から聞いていたわけでは多分なく、

    親からの遺伝で知っていたわけでもないのでしょう。

    ただ、毎年の4月15日、境内の蟻たちは、理由も分からず授かったお米を

               今と同じように運んできたのではないでしょうか。

    八百年前の蟻も、同じようにこの日、お米を運んでいたのかも知れません。

    蟻の命はここまで何代繋がってきたのでしょう。

    舞岡の里の、天狗様のこわい子供たちも大人になり、代を重ねて、今になり、

    そして、神さまは変わらずここに坐す。

 

 

 

     お神楽が終わると、氏子の世話人さんたちからお祭りの御挨拶があり、

     神殿の狭い回廊からお餅が撒かれます。

 

 

    大きな樽五つに山盛りに用意された紅白のお餅が景気よく撒かれます。

    大人も子供も走り回ってお餅を拾い、賑やかなお祭りの最後が盛り上がります。

    神さまも楽しく御覧になっていたことでしょう。

 

  

          “ オマツリ スンダカラ  オウチニ  カエロウ ”

 

    野道は春の草が茂り始めました。

 

 

    

 

   榊葉(さかきば)の 香をかぐはしみ 求(と)め来れば

   八十氏人(やそうぢびと)ぞ 円居(まとゐ)せりける 円居(まとゐ)せりける

 

     佐加幾波乃 加乎加久者之美 止女久礼波

     也曽宇知比止曽 満止為世利計留 満止為世利計留

                             神楽歌 採物(とりもの)

 

    榊の葉の よい香りがするので その香りを尋ねてきてみると

    大勢の氏の人たち(=皆)が 神の庭に和やかに集まっている 集まっている

 

 

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