2010年10月29日

墨場必携:散文 コスモス 鷺



22コスモス3.jpg                                          22.10.2 埼玉県所沢市

  「其中日記」十三の続 種田山頭火

  コスモスが赤く或は白く咲きいでゝ揺れてゐる、可憐な花である。


  「其中日記」九 種田山頭火

  路傍のコスモスが美しかつた、秋も日に日に深うなる。
  ......よくならうとすればするほどわるくなる、といふよりも、わるくなれば
  なるほどよくならうとする、......真実なる矛盾である。......

      
6コスモス赤.jpg                                          22.10.6 埼玉県所沢市

  「思ひ出すことなど」夏目漱石

   コスモスはすべての中(うち)で最も単簡(たんかん)でかつ長く持つた。
  余はその薄くて規則正しい花片と、空(くう)に浮んだように超然と取り合
  わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子(ひがし)に似ていると評した。



  「山遊び(岡山県 倉敷)」木下利玄(「木下利玄全集 散文篇」臨川書店)

   暫くたつて、此の處を出かけると程なく森の中に墓のある處へ来た。もう
  里へ下りたと思つたら、急に森を出て、あかるいコスモスの咲いてる百姓家
  の背戸へ出た。コスモスは此の邊の田舍迄行き渡つて居る。
                          (明治44年10月18日)


      
6キンモクセイ2.jpg                                          22.10.6 東京都清瀬市
  「葛飾土産」永井荷風

   コスモスの花が東京の都人に称美され初めたのはいつ頃よりの事か、わたくし
  はその年代を審(つまびらか)にしない。しかし概して西洋種の草花の一般によ  
  ろこび植ゑられるようになつたのは、大正改元前後のころからではなからうか。
   わたくしが小学生のころには草花といへばまず桜草くらいに止つて、殆どその 
  て、殆どその他のものを知らなかつた。荒川堤(あらかわづつみ)の南岸浮間ヶ 
  原には野生の桜草が多くあったのを聞きつたへて、草鞋(わらじ)ばきで採集に 
  出かけた。この浮間ヶ原も今は工場の多い板橋区内の陋巷(ろうこう)となり、
  桜草のことを言ふ人もない。
   ダリヤは天竺牡丹(てんじくぼたん)といはれ稀に見るものとして珍重され
  た。それはコスモスの流行よりも年代はずつと早かつたであらう。チュリップ、  
  ヒヤシンス、ベコニヤなどもダリヤと同じく珍奇なる異草として尊まれてゐた
  が、いつか普及せられてコスモスの流行(はや)るころには、西河岸の地蔵尊、
  虎ノ門の金毘羅(こんぴら)などの縁日(えんにち)にも、アセチリンの悪臭
  鼻を突く燈火の下に陳列されるようになつてゐた。
   わたくしは西洋種(だね)の草花の流行に関して、それは自然主義文学の
  勃興、ついで婦人雑誌の流行、女優の輩出などと、ほぼ年代を同じくしてゐた
  やうに考えてゐる。入谷の朝顔と団子坂の菊人形の衰微は硯友社文学とこれま
  たその運命を同じくしてゐる。向島の百花園に紫苑や女郎花に交つて西洋種の
  草花の植ゑられたのを、そのころに見て嘆く人のはなしを聞いたことがあつた。
   銀座通の繁華が京橋際から年と共に新橋辺に移り、遂に市中第一の賑ひを誇
  るやうになつたのも明治の末、大正の初からである。ブラヂルコーヒーが普及
  せられて、一般の人の口に味われるやうになつたのも、丁度その時分からで、
  南鍋町と浅草公園とにパウリスタという珈琲店が開かれた。それは明治天皇崩
  御の年の秋であつた。

     
6コスモスビー.jpg                                          22.10.6 埼玉県所沢市

 「蒼鷺(あをさぎ)」芥川龍之介( 「動物園」より)

   何(なん)でも雨上(あまあが)りの葉柳の匂(にほひ)が、川面(かはも)
  を蒸してゐる時だつた。お前はその柳の梢(こずゑ)に、たつた一羽止まつて
  ゐたが、「夕焼け、小焼け、あした天気になあれ。」----そんな唄を謡つて通
  つた、子供の時のおれを覚えてゐるかい?

      
アオサギ.jpg                                    アオサギ  22.4.29 東京都清瀬市

【文例】 訳詩・近現代詩

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