感情の共有について 『ネコと話そう』の前のこと
芽吹く小枝の翡翠 22.2.25 東京都清瀬市
1 春風邪
夏の終わり頃から懸念されていた新型インフルエンザの流行でしたが、何と言うこともない冬でしたね。
今から思うとあの大げさな防護服で飛行機から降りてきた映像や、"感染第一号"などといった気の毒な報道のされ方やら、まるでエボラ出血熱並みの業病扱いで世の中は煽られまくり、空気清浄機や消毒薬が市場に溢れる一方でマスクが払底し、インターネットで高値取引されたりしたこととかの、一連の騒ぎは何だったのだろうと不思議になります。ワクチンの開発競争や大量生産に絡んでさまざまな利権が発生し、お金の動きもあったはず。製薬会社や医療関係企業、マスクの製造元などの株価も大きく動きました。"怪シイナ、怪シイナ"と、みやも言っています。ECでは検証が始まったようです。
"コレハ 怪シイ"
"ソウナノー?"
"絶対 怪シイ"
"ナマリ節 マダー"
さて、幸いなことに新型インフルエンザはさっぱりでしたが、この天候不順のせいか、報道によれば、この春3月、世間は例年になく風邪流行りとのことです。
22.2.2 東京都清瀬市
実は報道に拠るまでもなく、先月末からしばらく、我が家は久しぶりに家族ぐるみで風邪を引いておりました。喉と発熱の風邪です。全員が一時は別人のような声。私は熱が引いてから数日、声が全く出なくなってしまいました。掛かり付けに飛んで行きましたら、「声帯に来ていますから、すぐには治りません。水分摂ってね」ということでした。
22.2.20 東京都清瀬市
仕事で声を張るので、折々の喉痛は職業病のようなものです。長い授業のあとは必ず水分を通すとか、注意はしているのですが、乾燥期に声を張り上げて手当を怠ると、厄介なことになってしまいます。
22.2.20 東京都清瀬市
8年前に同じ症状になったことがありました。喉がパンパンに腫れているな、と思いながら帰宅し、玄関で「ただいま」を言ったつもりが「た・・ま」と、機械の故障のように部分的に音が消えて、アレッと思ったのでした。家族と話すのにも、時々そうして音が消え、力を入れないと言葉にならない奇妙な症状が強まってゆきます。
一晩寝れば良くなっているだろうと、いつもの事ながら根拠もなく楽天的な予想でいたのですが、翌朝は全く声が出なくなっていました。喉に音の引っかかりがなくスースー空気だけが漏れる、まさに「喉笛が壊れた」といった感じになりました。
何が起こったのか、初めてでしたので恐ろしく、慌てて掛かり付けに飛んで行ったのでしたが、「声帯の炎症ですから、すぐには治りません。喉使わないでね。水分摂ってね」で、あまり大事(おおごと)でない扱いをして下さったので、気分だけはすっかり楽になりました。臨床のお医者さまにはこういうことも技術のうちですね。その折は完治まで約二週間、家族とも筆談で過ごしたのでした。
メジロ 22.2.25 東京都清瀬市
2 言葉以前
その頃、我が家にいたのは先代の猫ゴロウ君です。よく家族と意志が通じて、人と住むにあたり実に賢い猫でした。私が声を発しないのを不審に思い、正面に廻って来ては、"ネエ ドウシタノ?"の「ニャオニャオ」をかなりしつこく発し、こちらが応えても声を出せないでいると、やがてゴロウ君の方まで無音の「ニャオ」をするようになりました。口を動かすだけで、音を立てない「ニャオ」です。私が声を回復するまで、ゴロウ君は私に対してはずっと無音の「ニャオ」でした。
体が弱いのが難点で、獣医さん通いの絶えなかったゴロウ君は12歳で亡くなりましたが、無音の「ニャオ」のことは忘れられない思い出です。その真意は分かりませんが、人間家族にたしかに心を使っていたことがわかります。少なくともその時の私はそこにゴロウ君の優しさを感じ、労られている気がしたものです。
筒井ゴロウ(享年12歳)
ゴロウ君だけでなく歴代ねこ家族との付き合いを思うと、彼らとは一定のコミュニケーションがちゃんととれていますが、それは「意」が通じているのであって、その理解に「言葉」、単語が介在しているかどうかは何とも言えません。第74回に、猫語習得の試みとして『ネコと話そう』(野澤延行、マガジンマガジン刊)を御紹介しましたが、猫との交信の方法として、「言葉」は実は補助具のようなもので、それ以前に問題にされるべきことがあります。猫との長い付き合いから自然に分かってきていることは、いわゆる「言葉」は通じなくとも感情は共有できることがあるということです。
さらに言えば、人間同士の場合、互いに理解出来る言葉を持っているので、それで用事は足りておりますが、それはたとえば猫と「意」が通じているということと同じではありません。言葉の意味は理解するけれど、人と感情を共有することが全く出来ない人というのはいくらでもいます。
"ミンナ 風邪 ヒイチャッタンダネ ベツニ 怒ッテナイヨ"
どの生き物もみな、とはいかないのでしょうが、ゴロウ君のように人に親和性の強い知的な動物の中には、人の側の感情をかなり察することに長けたものもいます。そういう相手とは、種の壁をそれほど障害ともせずに「意」の交信が出来るということがあるような気がします。
第137回直木賞候補になった「鹿男あをによし」(万城目学)という小説はTV番組にもなりましたから御存じの方も多いことでしょう。あの中で鹿が当たり前に人と交信するのも、生きものとの感情の共有という範囲で理解すれば、それほど非現実世界のものでもないように思います。
知人からみやに、同じ作者の新作「かのこちゃんとマドレーヌ夫人」(筑摩書房)を教えてもらいました。今度も鹿が関わるところを見ると、作者は鹿と実際に交信体験を持っているのかも知れません。しかし、今作品がことにみやに注目されるというのは、マドレーヌ夫人とは猫なのです!。