2009年10月 2日

墨場必携:散文 寺田寅彦

        
17宇宙3.jpg                                            22.9.17 埼玉県所沢市

 「柿の種」(大正十年十一月、渋柿)       寺田寅彦

 コスモスという草は、一度植えると、それから後数年間は、毎年ひとりで生えて来る。
 今年も三、四本出た。
 延び延びて、私の脊丈(せた)けほどに延びたが、いっこうにまだ花が出そうにも見えない。
 今朝行って見ると、枝の尖端に蟻が二、三疋ずつついていて、何かしら仕事をしている。
 よく見ると、なんだか、つぼみらしいものが少し見えるようである。
 コスモスの高さは蟻の身長の数百倍である。
 人間に対する数千尺に当たるわけである。
 どうして蟻がこの高い高い茎の頂上につぼみのできたことをかぎつけるかが不思議である。

          
24宇宙5.jpg                                            22.9.17 埼玉県所沢市

 「ある日の経験」(大正十年十二月『明星』)      寺田寅彦

 庭に下りて咲きおくれた金蓮花とコスモスを摘んだ。それをさっき買った来た白釉の瓶に投げ込んで眺めているといい気持になった。これを眺めているうちにも、また展覧会の童女の像を思い出した。あれは実に美しい。何とも云われないしみじみと美しい絵である。あれに比べると外の多くの騒がしい絵は、云わば腹のへっているのに無闇に大きな声を出しているような気のするものである。真に美しいものは大人しく黙っている。しかしそれはいつまでも見た人の心に美しい永遠の響を留める。そしてその余韻は、その人の生活をいくぶんでも浄化するだけの力をもっている。こういう美しいものを見たときと見なかった時とで、その後に来る吾人の経験には何らのちがった反響がない訳にはゆかない。

         
22宇宙5.jpg                                            22.9.22 埼玉県所沢市

        
 「秋草と虫の音」   若山牧水

 自分の好みからか、いつ知らず私は野原の花ばかりを挙げて来た。庭の花に、ダリヤあり、コスモスあり、鶏頭がある。
 ダリヤは夜深く机の上に見るがよく、コスモスは市街のはづれの小春日和を思はせる。鶏頭はまた素朴な花で、隠れ栖(す)む庭の隅などに咲くべきであらう。

          
27萩黄花.jpg                                            22.9.27 東京都清瀬市

 「卵」   夢野久作

 三太郎君は勉強に飽きて裏庭に出ました。
 空には一面に白い鱗雲(うろこぐも)が漂うて、淡い日があたたかく照っておりました。その下に立ち並ぶ郊外の家々は、人の気はいもないくらいヒッソリとして、お隣りとの地境(じざかい)に一パイに咲いたコスモスまでも、花ビラ一つ動かさずに、淡い空の光りをいろんな方向に反射しておりました。

        
26宇宙1.jpg                                            22.9.26 埼玉県所沢市

 「思い出す事など」    夏目漱石

 三十

 桂川の岸伝いに行くといくらでも咲いていると云うコスモスも時々病室を照らした。コスモスはすべての中(うち)で最も単簡(たんかん)でかつ長く持った。余はその薄くて規則正しい花片と、空(くう)に浮んだように超然と取り合わぬ咲き具合とを見て、コスモスは干菓子に似ていると評した。なぜですかと聞いたものがあった。範頼の墓守の作ったと云う菊を分けて貰って来たのはそれからよほど後の事である。墓守は鉢に植えた菊を貸して上げようかと云ったそうである。この墓守の顔も見たかった。しまいには畠山の城址(しろあと)からあけびと云うものを取って来て瓶に挿んだ。それは色の褪めた茄子の色をしていた。そうしてその一つを鳥が啄(つつ)いて空洞(うつろ)にしていた。----瓶に挿す草と花がしだいに変るうちに気節はようやく深い秋に入った。
   日似三春永。 心随野水空。
   牀頭花一片。 閑落小眠中

          
22宇宙10 .jpg                                            21.9.22 埼玉県所沢市

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