2009年1月15日

墨場必携:近現代詩 雪の上 柳沢健

fuyuki11.jpg                                                 21.1.11 東京都清瀬市

・雪の上   柳沢 健(1889〜1953)

  幽(かす)かに雪ふりいで、
  月徐(おもむろ)にのぼる。

  嵐はいづこよりかおこり、
  雪のなかをはるかに......

  はるかなる地平線の上を
  雪のなかの月、
  粉のごとく煙のごとく、
  圏をゑがきて呼吸す。

  われら影のふたり恋のなきがら
  夜のなかにいつまでもあひ倚りて、
  うねりゆく雪ふる月の韻律を、
  足おとつつましくふみてゆくなり。



・暮れゆく空へ   柳沢 健

  暮れのこる空のなかに
  あかるくさみしく
  私の心をみつめる色がある、
  私の心の涙ぐみきたるを
  思ひやり深くみつめてゐる色がある。

  私は穏やかに歩(あゆみ)を運びつつ
  静かに衰へた心のなかに
  熱い思のいつしらず湧くを覚える、
  私はしみじみと哀しく
  優しい暮れの空のなかに涙をおとす。

  暮れのこる空のなかに、
  たよりなく、されどはてもなく明るく遠く、
  私の心をみつめる色がある。
  
fuyuki.jpg                                                   21.1.2 東京都清瀬市
・樹木   柳沢健

  夜の風に吹かれ、
  掌を樹木の膚に押しあてながら、
  冷たき悲しみのそがなかに波うつを聴く。

  月はあり。
  その光は遠くして幽かなれど、
  世界はそことしもなき朧ろの銀色。

  われに絶望の来ることなし、
  そは、わが世はいづこか朧ろにして楽しければ
  されどわれは夜の風のなかにありて、
  掌に波うつ樹の悲しみを深く聴く。

  わが心は夜の風に靡きつつ沈みゆくなり。


・月の粉   柳沢健

  月の粉の薄い紫が
  世界の上にやはらかな渦をまく。

  しめやかに地平のはてを歩みゆく獣の群
  それらのおとなしき獣のすぎゆく音を、
  私は心のなかできく、遠い心のなかできく。


・時   柳沢健

  時の音なきながれのなかに、
  ふたりは いつとはなしに よりそひしが
  また いつとはなしに はなれゆきけり。
  時のながれのなめらかさに、
  われら傷むなく うかびゆかむのみ。

  月は空にかがやき、
  小鳥のかげ しづかに 砂にうつる......
      
2日ruri.jpg                                      ルリビタキ  21.1.2 東京都清瀬市

・冬の日   三好達治

  ああ智慧(ちゑ)は かかる静かな冬の日に
  それはふと思ひがけない時に来る
  人影の絶えた境に
  山林に
  たとへばかかる精舎の庭に
  前触れもなくそれが汝の前に来て
  かかる時 ささやく言葉に信をおけ
  「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」

  秋は来り 秋は更け その秋は已(すで)にかなたに歩み去る
  昨日はいち日激しい風が吹きすさんでいた
  それは今日この新らしい冬のはじまる一日だつた
  さうして日が昏(く)れ 夜半(やはん)に及んでからも 
                     私の心は落ちつかなかつた
  短い夢がいく度か断れ いく度かまたはじまつた
  孤独な旅の空にゐて かかる客舎の夜半にも
  私はつまらぬことを考へ つまらぬことに懊(なや)んでゐた

  さうして今朝は何といふ静かな朝だらう
  樹木はすつかり裸になつて
  鵲(かささぎ)の巣も二つ三つそこの梢(こずえ)にあらはれた
  ものの影はあきらかに 頭上の空は晴れきつて
  それらの間に遠い山脈の波うつて見える
  紫霞門(しかもん)の風雨に曝(さ)れた円柱(まるばしら)には
  それこそはまさしく冬のもの この朝の黄ばんだ陽ざし
  裾の方はけぢめもなく靉靆(あいたい)として霞(かすみ)に消えた 
               それら遥かな巓(いただき)の青い山々は
  その清明な さうしてつひにはその模糊(もこ)とした奥ゆきで
  空間(エスパース)てふ 一曲の悠久の樂を奏しながら
  いま地上の現(うつつ)を 虚空の夢幻に橋わたしてゐる

  その軒端(のきば)の雀の群れの喧(さわ)いでゐる
             泛影楼(へんえいろう)の甍(いらか)のうへ
  さらに彼方疎林の梢に見え隠れして
  そのまた先のささやかな聚落(しうらく)の藁家(わらや)の空にまで
  それら高からぬまた低からぬ山々は
  どこまでも遠くはてしなく
  静寂をもつて相応(あひこた)へ 寂幕をもつて相呼びながら連つてゐる
  そのこの朝の 何といふ蕭条(せうでう)とした
  これは平和な 静謐(せいひつ)な眺望だらう

  さうして私はいまこの精舎の中心 大雄殿(だいゆうでん)の縁側に
  七彩の垂木の下に蹲(うづくま)り
  くだらない昨夜の悪夢の蟻地獄からみじめに疲れて帰つてきた
  私の心を掌にとるやうに眺めてゐる
  誰にも告げるかぎりでない私の心を眺めてゐる
  眺めてゐる――
  今は空しいそこここの礎石のまはりに咲き出でた黄菊の花を
  かの石塔(せきとう)の灯袋(ひぶくろ)にもありなしの
               ほのかな陽炎(かげらふ)のもえてゐるのを

  ああ智慧は かかる静かな冬の日に
  それはふと思ひがけない時に来る
  人影の絶えた境に
  山林に
  たとへばかかる精舎の庭に
  前触れもなくそれが汝の前にきて
  かかる時 ささやく言葉に信をおけ
  「静かな眼 平和な心 その外に何の宝が世にあらう」


【文例】 唱歌・童謡

同じカテゴリの記事一覧