季節に映ることば
季節に映ることば

初夏の景色  漢詩 和歌 近代詩

5回目 筒井ゆみ子

立夏からおよそ半月、今年は5月21日が、二十四節気の「小満(しょうまん)」に当たります。

 小さく満ちると書いて「小満」。万物が次第に成長して、一定の大きさに達してくる頃と言います。
 天明年間(1787年)に刊行された暦の解説書『暦便覧』(太玄斎著)には、「万物盈満(えいまん)すれば草木枝葉繁る」と記されています。いかにも新緑の季節を思わせる説明です。

 「小さく満ちる」ですが、万物がそれぞれに満ちると言えば、何という充実でしょう。そこで、このたびは、はつ夏の景色から、盛んに充ち満ちてきた初夏の緑、沙羅(ナツツバキ)、山吹、ひなげし、桐の花、栗の花、栴檀、など小さく満ちるものの御紹介です。

淡窓五首 其一     広瀬淡窓

明窓兼浄机  明窓(めいそう)と浄机(じょうき)と、
抱膝思悠哉  抱膝(はうしつ)思ひ悠たるかな。
莫話人間事  人間(じんかん)の事を話す莫(な)かれ、
青山入座来  青山(せいざん)座に入り来たればなり。

[大意]明るい窓と浄らかな机、
    膝を抱えて思いは悠悠としたもの。
    世間話などするなよ、
    あの青い山がこの座に加わっているのだから。


夏日即時    武田梅龍

雨晴薫吹落松筠
翠露斜斜滴葛巾
尽日無言好相対
青山不厭読書人

雨晴れ薫(くん)吹き 松筠(しよういん)に落ち、
翠露(すいろ)斜斜(しやしや)として葛巾に滴(したた)る。
尽日(じんじつ)無言に好く相対するも、
青山は厭はず読書の人を。

[大意]雨が上がり、南風が松や竹に吹き渡り、
    翠の露が葛の頭巾に滴り落ちる。
    一日中何も言わずに向き合っていても、
    青山は書を読むばかりの私を厭がりもしない。

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初夏や よきこと語り 若き人 ひと日寝くらす たちばなの花  与謝野晶子

しろき花 散りつくしたる 下総の 梨の名所の あさき夏かな  若山牧水

初夏の都大路の夕あかり ふたたび君とゆくよしもがな  芥川龍之介   

はつなつの かぜとなりぬと みほとけは をゆびのうれに ほのしらすらし  会津八一


やうやくに芽ふかむとして沙羅双樹 たてる木のもとゆきかへりすも  斎藤茂吉

ものさびし 青葉の宿の五月雨の 空にかなへる 沙羅双樹の花  伊藤左千夫      

沙羅双樹 しろき花ちる夕風に 人の子おもふ 凡下(ぼんげ)のこころ  与謝野晶子


沙羅の木    森鴎外

褐色(かちいろ)の 根府川石(ねぶかはいし)に
白き花 はたと落ちたり、
ありとしも 青葉がくれに
見えざりし さらの木の花。

※沙羅はナツツバキの別名。
   

相聞(そうもん)   芥川龍之介

また立ちかへる 水無月(みなづき)の
歎きを誰(たれ)に 語るべき
沙羅のみづ枝に 花咲けば
かなしき人の 目ぞ見ゆる
 ※かなしき人:愛しく思う人
 ※目ぞ見ゆる:姿が目に浮かぶ


水や草は いい方方である      八木重吉 

はつ夏の
さむいひかげに田圃(たんぼ)がある
そのまわりに
ちさい ながれがある
草が 水のそばにはえている
みいんな いいかたがたばかりだ
わたしみたいなものは
顔がなくなるようなきがした


山吹      八木重吉

山吹を おもへば
水のごとし


ある日     八木重吉

こころ
うつくしき日は
やぶれたるを
やぶれたりとせど かなしからず
妻を よび
児をよびて
かたりたはむる

※八木重吉の詩は仮名遣いを含め、表記はすべて 現代詩文庫「八木重吉詩集」(思潮社)の本文に従った。

 清らかな詩人、というとまず思い浮かぶ人に八木重吉(1898〜1927)がいます。詩作を始めてわずか6年足らず、29歳の若さで結核のため鬼籍に入ることとなりましたが、その間に実に二千首を越える詩を詠んでいました。平易な言葉、明澄な響きの短い詩は、無垢な魂のおののきを伝えて、その清潔感は類を見ないものです。
        
 生前に発表された第一詩集「秋の瞳」、没後間もなく出版された第二詩集「貧しき信徒」は、重吉自身に厳選された、価値のあるものではありましたが、詩の数は多くはありませんでした。後にこの膨大な遺稿をまとめ、希有の詩人の全貌を世に出したのは、妻のとみ(登美子)です。

 結婚した時、重吉は24歳の英語教師。とみはまだ17歳の女学生でしたが、重吉が自分で教育にあたることを家族に申し出て、退学して結婚した妻でした。翌年には重吉が詩にも度々詠った長女の桃子を、その翌年には長男陽二を授かります。ともにキリスト教の信仰を持ち、真面目な若い二人は、間違いなく幸福な夫婦でしたが、重吉は28歳で結核に倒れると、療養の甲斐無く、翌昭和2年には亡くなってしまいます。病床ノートにこんな断片も残っていました。

  朝眼を醒まして
  自分のからだの弱いこと
  妻のこと子供達の行末のことをかんがへ
  ぽろぽろ涙が出てとまらなかつた

 いとけない二人の幼児を抱える妻もこの時まだ22歳。家族思いだった重吉はどれほど心残りだったことでしょう。
 とみは子供二人を養うために、夜を日に継いで働きました。しかしさらに過酷なことに、長女桃子は14歳で、弟の陽二も15歳の時に、やはり同じ結核で相次いで夭折します。気力も失せかかったとみを支えたのが、重吉の遺した二千編あまりの詩稿でした。とみは生活のため、かつて重吉も入院していた茅ヶ崎の病院の住み込みの看護婦になります。詩稿の大きな風呂敷包みを、この時も大切に持って行ったのでした。ほかに持ち物らしい持ち物もなかったという。そこで働きながら昭和17年、戦時下の統制も厳しい中で小さな詩篇の出版を実現します。空襲のたびに詩稿を詰めたバスケット一つを抱えては防空壕へ逃げ込むような、そんな時代を、とみは亡夫の詩とともに生きました。

 とみは重吉の詩の理解者を周囲に拡げ続け、出版のための努力を続けました。昭和22年、熱心な重吉詩の理解者の一人であった、これも仙人のような歌人の吉野秀雄に望まれて再婚し、夫婦で重吉の詩を上梓するために奔走し、後にそれは「八木重吉全集」(筑摩書房)として結実します。時に昭和57年、詩人が亡くなって55年が経っていました。

 八木重吉の清らかな人となりは詩に窺えます。妻の尽力で私たちみながその魂に触れることができます。家族の幸福を次々病魔に奪われながら、くじけず、曲がらず、愛する人の詩の力を頼みに、その詩の言葉を尊んで半世紀あまりをも努めたとみ という人の生涯も、また聖人のようです。

初夏や 耳には聞かぬ轟きの うづまくもとの ひなげしの花  与謝野晶子

ああ皐月 仏蘭西の野は 火の色す 君も雛罌粟(こくりこ)われも雛罌粟  与謝野晶子

散る時も 開く初めのときめきを 失はぬなり 雛罌粟の花  与謝野晶子

あかつきにわが来ることを知るごとし 初夏の野のひなげしの花  与謝野晶子

時は午(ひる) 路の上には日かげちり 畑の土にはひなげしのちる  与謝野晶子

人の云ふいつはりにだに動きゆく心 と見ゆるひなげしの花  与謝野晶子

ひなげしや 夜ごと夜ごとのあけやすき  芥川龍之介 

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ほのかにひとつ(始めの二連抜粋)  北原白秋

罌粟(けし)ひらく、ほのかにひとつ、
また、ひとつ……

やはらかき麦生(むぎふ)のなかに、
軟風(なよかぜ)のゆらゆるそのに。
  

 君をみて いくとせかへし かくてまた 桐の花さく日とはなりける  芥川龍之介

 いととほき 花桐の香の そことなく おとづれくるを いかにせましや  芥川龍之介

 さしむかひ 二人暮れゆく 夏の日の かはたれの空に 桐の匂へる  北原白秋

※「かはたれ」は「彼は誰」。「たそがれ」=「たぞかれ」「誰ぞ彼」と同じ。
 人の区別が一見してわからないようなうす暗さから、ここでは「夕暮れ時」の意味。
 「たそがれ」は現在は夕暮れ時の薄明を言うが、古くは明け方の薄明にも同工の言葉が使われたと思われる。「かはたれ」がそうであったかもしれない。
   

桐の木     八木重吉

桐の木がすきか
わたしはすきだ
桐の木んとこへいこうか 
 

水無月の 山越え来れば をちこちの 木の間に白く栗の咲く見ゆ  若山牧水

まさやかに 今朝し垂りたり いついつと待ちにし栗の しだり房花  北原白秋


はげしい栗の花のにほひ
送って来たのは西の風だ
谷の霧からまっ青なそらへ
岬のやうに泛(うか)んでゐる
向ふの尾根のところどころ
月光いろの梢がそれだ  (長編より抜粋)宮澤賢治「春と修羅」詩稿補遺


妹が見し 楝(あふち)の花は 散りぬべし 吾が泣く涙 いまだ干なくに  山上憶良  
伊毛何美斯 阿布知乃波那波 知利奴倍斯 和何那久那美多 伊摩陁飛那久尓  万葉集巻五 798

わぎもこに あふちの花は 散りすぎて いまいま咲ける ことあらむ妹かも  古今六帖 

名にし負へば 頼まれぞする 我恋ふる人にあふちの 花咲にけり   曾祢好忠

夏草のしげみの花と かつ見えて 野中の杜(もり)に ちる樗(あふち)かな   正徹

紫の 一もとあふち ちらば惜し 里はみながら 匂ふ山風   正徹

花の春 もみぢの秋も なにならず あふちうち散る 森の夕風   藤原為尹  

羽そよがせ 雀樗(あふち)の枝に居り 涼しくやあらむ その花かげは   北原白秋


栴檀(抜粋)   三木露風

せんだんの花のうすむらさき
ほのかなる夕(ゆふべ)ににほひ、
幽(かすか)なる想(おもひ)の空に
あくがれの影をなびかす

しめり香や、染みつつきけば
やはらかに忍ぶ音(ね)もあり。
とほつ代のゆめにさゆらぎ
木のすがた、絶えずなげかふ。
    

 桐の花、栴檀の花はともに山野にさく素朴な薄紫の花です。紫という色は後に文化的な意味で古代日本人にとって特別に高貴な色となりますが、それ以前から、もともとその色味は私たちの祖先に好まれていたような気が致します。
 古典に「あふち(楝、樗)」と出て来る植物は栴檀の別名です。「万葉集」の歌などには薄紫の「あふち」の花の姿を素直に詠むものも多いのですが、「会ふ」の掛詞に使って、人に逢ふ、機会に遇(あ)ふ、などの場面に詠み込むことができたので、時代が下ると和歌・和文では掛詞の一方としての役目を負うことの方に重きが置かれる言葉になってゆきます。従って、この植物は和歌では栴檀ではなく専ら「あふち(楝、樗)」の名で登場します。 

     
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