季節に映ることば
季節に映ることば

五月の空に  漢詩 和歌 唱歌 近代詩

4回目:筒井ゆみ子

桜の季節はひとときの夢のように過ぎました
日々に力を増す太陽の光を受けて、緑の輝く季節を迎えます。
この度は、桜を送った後の春の残り、明るい五月の空を背にして爽やかな緑、わけても若い竹の詩歌、そして端午(たんご)の節供に因んだ詩歌を御紹介します。

  昌谷北園新筍(しようこくほくえんのしんじゆん)其二   唐 李賀(りが)

    斫取靑光寫楚辞
    膩香春粉黒離離
    無情有恨何人見
    露壓煙啼千萬枝
      ※青光を切り取って書きつけるというのは竹簡(ちくかん)に書くということ。
      ※「楚辞」は古代の詩書。ここでは自作の詩文をそれになぞらえている。

     青光(せいこう)を斫(き)り取つて 楚辞を写す
     膩香(じこう) 春粉(しゆんぷん) 黒くして離離(りり)たり
     無情 有恨(ゆうこん) 何人(なんびと)か 見ん
     露は圧し 煙は啼く 千萬枝(せんばんし)

 [大意]青い光を放つ竹の肌をそいで、詩を書きつける。
     つややかに香り、粉をふいた竹の肌に、文字は黒く点々と散らばる。
     あるものは無心であり、
            あるものには無限の思いが籠もることを誰が知ろう。
     露は千枝万枝の竹の葉に重く、
            竹林に漂う靄(もや)は声を立てて啼(な)くように煙っている。


  竹里館(ちくりかん)    唐 王維(わうい)

    獨坐幽篁裏   独(ひと)り坐す 幽篁(ゆうこう)の裏(うち)
    弾琴復長嘯   琴を弾じ 復た長嘯(ちやうせう)す
    深林人不知   深林 人知らず
    明月来相照   明月 来たりて相(あ)ひ照らす

 [大意]静かな竹叢(たかむら)の中(にある邸)に 独りで座っている。
     竹叢を眺め、琴を弾き、声を長く引いて歌を口ずさむ。
     この深い竹林の奥にある清らかなひとときを 世の人は知らない。
     明るい月だけが訪れて ここを照らす。


  鐘山卽時(しようざんそくじ)    宋 王安石(わうあんせき)

    澗水無聲繞竹流
    竹西花草弄春柔
    茅簷相對坐終日
    一鳥不鳴山更幽

     澗水(かんすい)声無く 竹を繞(めぐ)つて流る
     竹西(ちくせい)に花草(かそう) 春柔(しゅんじゆう)を弄(もてあそ)ぶ
     茅簷(ぼうえん) 相(あ)い対して坐すること終日(しゆうじつ)
     一鳥(いつちよう)鳴かずして 山更(さら)に 幽(ゆう)なり

 [大意]谷の水は音もなく竹をめぐって流れる。
     竹藪の西側で花や草は春のおだやかさにたわむれる。
     茅葺きの粗末な家に山と向かい合って終日座っていると、
     一羽の鳥さえ鳴かず、山は一層ひっそりとしずかだ。

     
  竹     篤茂(とくも:藤原篤茂)「和漢朗詠集」

    晋騎兵参軍王子猷 栽称此君
    唐太子賓客白楽天 愛為吾友      

      晋(しん)の騎兵参軍(きへいさんぐん)王子猷(わうしいう)
                        栽(う)ゑて 此の君と称す
      唐の太子の賓客(たいしひんかく)白楽天(はくらくてん)
                        愛して吾が友と為(な)す

      ※王子猷。名は徽之(きし)。王羲之の第五子。

 [大意]晋の騎兵参軍であった王徽之は、竹を植えて「この君」と呼んで親しみ、
     唐の太子の賓客(=東宮学士)であった白楽天は、
                        竹を愛して「わが友」となした。 

  王羲之の第五子 王徽之は竹を愛したことで知られる。「晋書 王羲之伝」に「何可一日無
  此君耶(何ぞ一日に此の君無かるべけんや)どうして一日も竹無しでいられようか」との
  言葉が残っている。以来「此君(しくん)」は竹の別称となった。我が国でもこれを引い
  て、平安朝の文学「枕草子」などは、竹を指して「此(こ)の君」と読み下して用いている。 


  竹     中書王(ちゆうしよわう:兼明親王)「和漢朗詠集」

    迸笋未抽鳴鳳管
    盤根纔点臥龍文 
           
     迸笋(へいずゐん)未(いま)だ
             鳴鳳(めいほう)の管(くわん)を抽(ぬき)んでず
     盤根(はんこん)纔(わづ)かに
             臥龍(ぐわりよう)の文(もん)を 点ぜり      
  
 [大意]勢いよく伸びている笋(筍)は、まだ笛の管をつくるほどではない
     地上にわだかまり広がっている竹の根も、
             やっと龍が横たわっているような模様を表したばかりだ


  竹 其の一    藤森天山(ふぢもり てんざん)

    修篁何矗矗   修篁(しゆうこう)何ぞ矗矗(ちくちく)たる、
    高節有餘清   高節(こうせつ)余清(よせい)有り。
    嫌傍人籬下   人の籬下(りか)に傍(そ)ふを嫌ひて、
    故穿幽逕生   故(ことさら)に 幽逕(ゆうけい)を穿(うが)ちて生ず。

 [大意]あの長い竹はなんとまっすぐにつき立っていることよ。
     高い節操には後まで残る清々しさがある。
     他人の籬の下によりしたがうことを嫌って、
     わざわざ人気のない小道に生えている。
   
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  あさ庭の まさご(=砂)ぬれたり 若竹の よのまの露や したたりにけむ  阪正臣「三拙集」

  たけのこは たけたかくこそなりにけれ きぬもはかまも身にあはぬまで  阪正臣「三拙集」

  むらすずめ(群雀)声しづまりて くれわたる 竹の林に 嵐たつなり  木下幸文「亮々遺稿」

  ふしてこそ みるべかりけれ 呉竹の下 てりわたる いさよひの月   香川景樹「桂園一枝」

  有明の月 出(い)でてこそ くれ竹の 葉かぜの音は 涼しかりけれ    木下幸文「亮々遺稿」

  有明の月のひかりに わかたけの みどりのいろは よるも見えけり  熊谷直好「浦のしほ貝」

  ※「有明の月」は深夜に昇り、明け方まで空に残る月。空に有るまま夜が明けることに
   由来する名前。

  さやかなる 風のしらべを 先づききて 笛にと竹をおもひそめけん  熊谷直好「浦のしほ貝」

  心だに すなほなりせば くれ竹の よのうきふしは 何にしげらむ   小澤蘆庵「六帖詠草」

  まど近く うゑてならはむ くれたけの むなしきこころ 高き操に  阪正臣「三拙集」

  ただひとつ たくはへもたる(蓄持) ものもなし うらやましきは 竹のよの中「壬子集」大隈言道 

  ※竹は真っ直ぐに伸びることに「素直」「正直」「健全」の印象を重ねた。
   また、雪の重さにも撓(たわ)んで折れないことに、苦節に負けない忍耐強さを重ねた。
   また、節と節との間が空洞であること、何もないことは、腹蔵に何も含まないこと、私心の
   ないこと、「無心」「無欲」に通じる美徳と意識された。「三拙集」の「むなしきこころ」は
   その意味からの言葉で、清廉な心を言う。
   「壬子集」の「竹のよ」は節と節との空間。「よの中」に「世の中」を掛けた。「よの中」の
   何もないことを、無欲の生き方と見たもの。
 
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  わらべたちの唄                 加藤道夫

    なよ竹やぶに 春風は
       さや さや
    やよ春の微風(かぜ) 春の微風(かぜ)
       そよ そよ
    なよ竹の葉は さあや
       さあや さや

    なよ竹やぶに 山鴿(やまばと)は
       るら るら
    やよ春のとり 春のとり
       るろ るろ
    なよ竹の葉に るうら
       るうら るら              戯曲「なよたけ」より

    この最後に御紹介した「なよたけ」は、昭和28年(1953)に、35歳で亡くなった劇作家
   加藤道夫の戯曲です。日本古典における“物語の出で来始めの祖(いできはじめのおや)”と、
   かの「源氏物語」の作者紫式部も讃えた「竹取物語」、かぐや姫のお話が、作者らしい繊細な、
   痛々しいばかりに優しい視線で、新しい物語に語り直された作品です。

       遠くの竹林の中から、まるでざわめく風の中からでも生れたかのように、
       わらべ達の合唱する童謡(わざうた)が、美妙な韻律をひびかせながら、
       だんだんと聞えて来る。

   というト書きで現れるのが、この歌です。

    加藤道夫は、まことに純粋な演劇人であったと評されます。岸田国士、芥川比呂志、矢代
   静一、福田恆存 等、一線で活躍する多彩な友人たちに認められ、深く愛された人でした。
   才長(た)け 心深い妻(女優の加藤治子)との仲睦ましく幸せな家庭の暮らしもありましたが、
   この世に耐えないことがあったのか、突然の自裁でありました。
    親友の一人であった三島由紀夫が「何の誇張もなしに云ふが、生れてから加藤氏ほど心の
   きれいな人を見たことがない」と述懐した、そういう人だったことを思い、残した戯曲の言葉
   を読むと、濁世に永らえることは、この人にはどうしても無理だったのかも知れない、という
   気がしてまいります。
    命を私(わたくし)するのは、もちろん、あってはならないことです。けれども、どうしても
   世俗の規格に合わない魂を持って生まれついてしまう人は、一定数いるのではないかと思います。

  端午(たんご)   菅(くわん:菅原道真) 「和漢朗詠集」

    有時当戸危身立   時有(あ)つて戸に当(あた)つて身を危(あや)ぶめて立てり
    無意故園任脚行   意(なさけ)無くして故園(こゑん)に脚(あし)を任せて行(あり)く

 [大意]五月五日の端午の節句になって、艾(よもぎ)草は人の形に作られ、門戸の上に掛けられて、
     その身は危うげに立っているけれど、
     また自分が生い育ったもとの園に、脚に任せて逃げて行こうとは思っていない。
                                  

 ◎端午の節句には魔除けの習慣として艾を束ねて人形(艾人:がいじん)を作って門口に掛ける習慣が
  中国にあった。この詩はその習俗に沿って詠んだもの。

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  昨日まで よそに思ひし あやめ草 今日わが宿の つまと見るかな   大中臣能宣「和漢朗詠集」端午

  五月五日菖蒲にさして人に
  千代までと いはひて引ける ながき根を けふ葺きそへよ 三つば四つばに  橘千景「うけらが花」

  菖蒲
  花の香は 立ちかへてける袖の上に あやめぞかをる 軒の朝露       橘千景「うけらが花」

  五月
  ますらをは 駒くらべせり をとめらも けふのあやめの 根をあはせみん   小澤蘆庵「六帖詠草」

  すなほなる すがたにいかで ならはまし あやめにかくる露のことのは   小澤蘆庵「六帖詠草」

  百万の 甍(いらか)しみみに つらなりて 上野颪(うえのおろし)に 鯉あがる見ゆ  正岡子規

    端午の節句の起源は古代中国の僻邪(まよけ)の習慣です。我が国でも、平安時代には
   すでに宮中の年中行事になっておりました。五節供のひとつとして定着し、菖蒲(あやめ)・
   菖蒲(しょうぶ)は、尚武に掛けて、近世以降はとりわけ男児の成長を祈念する行事として
   伝えられてまいりました。
    菖蒲は、桃や艾(よもぎ)などと同様、もともと魔除けの植物です。陰暦5月5日に軒端
   に葺き重ねたり、菖蒲湯を使うなどの習慣は、身辺に魔物を近づけないための習わしでした。
    近年では男児に限らず、広く子供たちの健やかな成長を祈る日になっていますね。ゴール
   デン・ウィークの一日に飲み込まれて、さほど意識もなく休日を享受していますが、5月5
   日は子供の日です。子供はこの世の宝です。

  鯉のぼり  文部省唱歌  作詞不詳

     甍(いらか)の波と 雲の波、
     重なる波の 中空(なかぞら)を、
     橘(たちばな)かをる 朝風に、
     高く泳ぐや、鯉のぼり。

     百瀬(ももせ)の滝を 登りなば、
     忽(たちま)ち 竜になりぬべき、
     わが身に似よや 男子(をのこご)と、
     空に躍るや 鯉のぼり。


  こいのぼり 近藤宮子(「日本の唱歌 春の巻」昭和6年)

     やねより たかい こひのぼり      やねより たかい こいのぼり
     おほきい まごひは おとうさん     おおきい まごいは おとうさん
     ちひさい ひごひは こどもたち     ちいさい ひごいは こどもたち
     おもしろさうに およいでる       おもしろそうに およいでる

    詩歌で端午(たんご)を詠むものは、おおむね中国古来の風習を学習したもので、私たち
   に身近な季節感を歌う種類のものではありません。一方決まり物の菖蒲は昔から季節の風物
   として詠まれて参りました。もともとの魔除けの縁起物として、また、時がめぐり端午に至っ
   たという、季節の象徴として清々しく取り扱って詠む歌も目に付きます。
    鯉のぼりや子供の成長祈願といったテーマは、近世末になって知られるようになった新し
   いもので、多くは唱歌や童謡の題材に見られます。
    童謡唱歌はオリジナルは歴史的仮名遣いで書かれた物ですが、現在作品にする場合は、
   その内容から、現代仮名遣いに改める方が自然かも知れません。

今回のことばの読み方の出典ほか
  漢詩の訓読、ルビは、中国の作品は『中国詩人選集』「李賀」「王安石」(岩波書店)、
  また『中国古典選26 唐詩選二』高木正一(朝日新聞社)に拠った。
  日本近世の漢詩の訓読は『墨場必携 日本漢詩選』北川博邦(二玄社)に拠った。
  『和漢朗詠集』の読み方には疑問があるが、新潮古典文学集成『和漢朗詠集』のルビを
  そのまま採用した。
  唱歌・童謡は『みやが選ぶ 小さな詩集』(天来書院)参照。



     
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