古碑帖の正確な見方

筒井茂徳(書法家)

第九回下「隷書の名品 史晨碑を習う」

2021.03.08

隷書の書法につき、用筆(筆遣い)と章法(字配り)についてはすでに触れましたので、ここでは結構(字形の組み立て方)の説明が中心になります。

概形が横長化する
単体型、偏旁型、冠脚型の文字を一例づつ挙げます。楷書は九成宮醴泉銘、隷書は史晨碑から作例を取り、概形枠で囲みました。現代は楷書時代ですので、楷書を基準として比べてみると、隷書は横長化していると言えます。隷書の最も重要な特色は横画、縦画、斜画のあらゆる筆画に波勢が働いていることですが、なかでも横方向の波勢がことに強く働き、それで文字が丈は低く、横に広くなるのが普通なのです(隷書には概形が縱長になる文字は無いということではありません)。

一字として水平であり、バランスを取る
波勢はあらゆる筆画に働くと同時に文字全体にも働き、文字がゆったりと横方向に流れているように感じさせます。そして隷書の主要な一横画には波発(波磔)が強く働きますから、文字全体の中で右が重くなることが多くなります。史晨碑から作例を挙げましょう。上段は左から「宜」「長」「見」、下段は「民」「恩」「利」です。いずれも右下に波発や払い、撥(は)ねがあり、文字全体における強いアクセントとして機能しています。つまり右下方が重くなります。さて、それぞれの字の横画は水平に見えるでしょうか。

多くの横画が波勢を帯びつつ右上がりに書かれていることに気がついたでしょうか。つまり波発等の右下方の強いアクセントを予期し、それとバランスを取るために横画を右上がり気味に書き、その右上がりの調子と右下方とのアクセントが一字全体の波勢を感じさせているのです。かくして一字全体としてほぼ水平に見えることになるわけです。

偏の横画は右上がり気味に
今、述べたことによって、偏旁型の文字は偏の横画を右上がり気味に書いてよいということになります。偏の横画の右上がりを旁の波発等のアクセントによって水平化することになるからです。文字は「祈」「騎」「闕」です。
では、偏旁型の文字で右側に波発等のアクセントの無い字はどうなるでしょうか。やはり作例を見ましょう。「相」「銘」「神」三字ともに、旁には波発等の強いアクセントはありません。偏はどうかと見ると、横画は右上がりに書いています。それでは、どのようにして一字全体を水平化しているかというと、旁の横方向の筆画を多少とも右下がり気味に書いているのです。このことによって、偏の右上がりを旁の右下がりで水平化し、同時に一字全体に波勢を感じさせようとしているのです。

中心になる縦画は垂直
文字全体としては水平ですから、中心に位置する縦画は全体としてほぼ垂直に書きます。もちろん波勢を帯びる縦画なので、垂直の直線ではありません。字は「十」「年」「来」です。
左軽右重、偏旁の高低
概形が横長であり、一字全体としては波勢を帯びて水平、そして右下方にアクセントがあるという隷書の姿をイメージ化すると、次の図のようになります。
もちろんこれはアバウトな概念図ですが、楷書と異なる隷書の一面を示していることは確かです。次の単体型、冠脚型、偏旁型の作例によって確認しましょう。上段は左から「几〈き〉」「元」「受」、下段は「敬」「復」「錢(銭)」です。
章法(字配り)の説明で、頭揃えということを述べました。これは偏旁型の文字においては、偏と旁との頭をほぼ揃えることにもなります。一方、下辺は成り行きに作ったりします。下辺を揃えることが多い楷書とはかなり異なる姿になる場合が少なくありません。結果として下辺が揃う場合もふつうにあり、上のイメージ図とは逆に左重右軽になる場合もあります。左重右軽の作例も挙げておきます。「秋」「制」「社」です。
楷書に通じる結構
ここまで楷書の結構とは異なる隷書の結構の特色について説明してきましたが、逆に楷書に近い要素もあります。その主要なものとして、次の二つがあります。
・筆画は等距離、空間は等間隔
・寸胴を嫌う

次に史晨碑から連続する六字を拡大し、半紙の形式に配列した手本を掲げます。この六字は「朝廷聖恩所宜(特加)」(朝廷の聖恩の宜〈よろ〉しく〈特に加ふ〉べき所なり)です。図版の下に迷いそうな筆画については簡単な説明を載せておきますから、できれば実際に筆を執って練習してみましょう。そして練習作品が出来れば、作品と手本の各字にまず概形枠を赤の水性サインペン等で書き込み、ついで気になるところに補助線や点を打ってみることです。手本と作品との違いが浮かび上がってきたら、さらに練習を重ねる。これを繰り返すことによって、きっと成果が出てくることでしょう。

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「廷」は旁を先に書き、左払い、横画、横画、最後の縦画は二横画を貫きます。延繞(えんにょう)の書き方を知るために、史晨碑に出てくる字例「延」「建」を示します。
「廷」「延」「建」の延繞を総合すると、点、「フ」「〉」のように書き、最後に長い右払いを書けばよいのです。

「聖」は横画、「日」「口」「壬」の順。
「恩」の上部の内部は「工」。「心」の第一画は突っかけるようにして逆筆で筆を入れて左下に進め、右上方に撥(は)ねる。
「所」は上部の横画の後は二通り考えられます。一つは下部を左から右へと書く。もう一つは下部を左の左払い、真ん中の左払い、両者の間の点、そして左払い、横画、縦画の順。書きやすい方で書いてかまいません。
「宜」は隷書以降、ウ冠ではなくワ冠に作るのが通例です。

次に参考図版を掲げ、各字の書法のポイントを説明します。

「朝」
偏の横画の波勢の反り方と右上がりの度合いに注意しましょう。旁の第一横画は偏の第一横画の延長線上に在ります。

「廷」
旁の第一画は左払いに書きます。第二画の横画と第三画の横画とは波勢の反り方が逆です。縦画の波勢は複雑で、横画を通過するたびに反り方を変えているように見えます。すなわち第一部分は右回り、第二部分は左回り、第三部分も左回りです。反り方は筆画の縁に注目すると分かります。延繞は四画で書いてあり、第三画の起筆部、第四画の起筆部に赤の点を打っておきました。

「聖」
手本の文字を見ると縦長に見えるかも知れませんが、概形枠を施すと分かるようにやや横長です(縦の補助線より左の補正概形は縦長)。各部品(一、日、口、壬)は緊密に配置されていて、部品間の空間がつぶれないように注意する必要があります。第一画の長い横画の波勢は複雑で、左回りの波勢、右回りの波勢、右回りの波勢をつないで書いてあります。わざとらしくならないように、さりげなく合成しましょう。「日」の横画の右上がりと「口」の横画の右下がりとは照応して波勢を形成しています。

「恩」
上部「因」の内部は本来は「大」ですが、隷書では狭い空間内に左払いと右払いを収めるのは書きにくい。それで「大」の横画より下方の左払いと右払いの部分を短い縦画プラス横画に変形し、さらに横画より上方の「大」の頭部を省略したものです。青の垂線の補助線は上部の右端の真下を過ぎた地点で「心」の第二画の波発が始まることを示しています。

「所」
史晨碑に出てくる同じ字を参考に右上に載せました。右上の字の方が波勢を強く利かせていて、表情が違って見えます。六字の概形はすべて横長ですが、なかでもこの字はとりわけ横長です。

「宜」
この字の概形も相当に横長で、各縦画を短く書く必要があります。下部「且」の内部の二横画の右上がりは最終画の波発を予期したもので、バランスを取るとともに一字全体としての波勢感を強める役割を担っています。最終画の左の赤い点はこの筆画のトップの地点で、ここから右下方に向かいます。

次回第十回上、下では篆書を扱います。

 

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