古碑帖の正確な見方

筒井茂徳(書法家)

第七回下「草書の名品 書譜を習う」その2

2021.02.08

先週の宿題について考えることから始めます。問題は次の二つの「易」字図版を比較し、どこがどう違うかを考えるという主旨でした。片方は書譜から拾つたものであり、もう片方はそれをすこし改変し、一般に臨書者にありがちな表現として再現したものでした。さて、違いはお分かりになったでしょうか。
分かりにくい場合は、概形枠を書き込んでみましょう。すると下図のようになります。
この二つの図を比較すると一目瞭然ではないでしょうか。あるいは次の図のように、ここかなと思ったところに補助線を一本引いてみるだけでも違いは明らかになります。
これで相違がはっきりしたとして、では書譜の本来の表現はどちらだろうかということになります。左右の図版のいずれが表現として自然に見えるでしょうか。

この答は先週の第七回上の最初に掲げた書譜巻頭部分図版の最終行、その五字目にあります。小さな図版で恐縮ですが、検討していただきたいのです。

つまり右側の図版が書譜の本来の表現なのです。左側の図版は書譜の表現をすこし改変したもので、具体的にいうと第一筆を転折ごとに四つの部分に分けると、第二部分以下を、第二筆をも含めて右回りに回転したものです。

左の図版の表現の方が自然に感じられた方は、書譜のこの字を臨書した場合、左の図版のように書く可能性が高いのです。しかしその場合でも、概形枠を施してみれば、おのずと手本との相違に気がつくはずです。

さて、本来の表現が左の図版のようになってしまう根本的な原因を考えてみましょう。結論を先に言うと、「右下方は書きにくい」からです。このことについては第一回下で説明してありますので、何のことだろうと思った方は参照してください。

右手に筆を持って下方に筆画を引こうとすると、その筆は意図したよりも左下方に流れやすいのです。実際に多くの人がそうなります。その結果、次の概念図のようなことが起こります。黒の矢印は手本の筆画を表し、赤の矢印は一般的な臨書者の筆画を表しています。
つまり直線であろうと、左回りの曲線であろうと、右回りの曲線であろうと、同じ起筆部で出発しても収筆部はいつも左にずれがちになりやすいのです。

「易」字の第一筆の第一転折部以降を概念図で示すと次のようになります。このように下方への筆画が連続する場合、筆画ごとに左にずれがちですから、ずれが積み重なってゆくと一字全体の収筆部はかなり左にずれることになります。これが手本の「易」と臨書者の「易」に起こった相違なのです。つまり宿題の答は、右が書譜の「易」の表現だということです。

この下方に引く筆画が左下に流れやすいという問題は、決して草書だけに起こる現象ではありません。すべての書体の学習の際に起こりうることです。連載では文字の姿勢(傾き)についてしばしば触れてきましたが、根幹にはこの問題があるわけです。それで、草書というある意味、抽象的な書体を扱うこの場で多少詳細に説明しました。

宿題の説明が長くなってしまいましたが、今回は書譜巻頭の六字「夫自古之善書(者)」(夫〈そ〉れ古〈いにしへ〉よりの書を善くする〈者〉)を拡大し、半紙六字書きに配置した次の手本を学びます。

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できれば実際に臨書して、自分で概形枠や補助線等を適宜書き入れ、手本との相違を考えてみましょう。そして違いが見つかったら、さらに練習して相違を少なくしてゆくことです。

次に、各字を概形枠で囲み、さらに一般的な補助線と注意すべき接続、交叉のポイントに赤い点を打った図版を示します。なお黄色の点は筆画の傾きを知るためのもので、問題となる筆画の左右中央に打ってあります。

「夫」
第一筆の起筆部に紙の損傷があってよく見えないので、別の箇所に出てくる同じ字を右上に載せました。参考になるかと思います。概形はかなり縦長であり、左半身を広く作ります。第二筆の縦方向の部分が手本の表現よりも左下方に流れないように留意しましょう。縦方向の上の部分はわずかに左回りに、下の部分はわずかに右回りに運んでいます。下端の横方向の筆画は右上がりに運びながら筆圧を軽くし、やや右下に引いてから小さく撥(は)ねます。

「自」
右上の図版は別の箇所に現れる同じ書法の字で、一筆で書かれていますから、筆路をたどると筆順が明らかになり、筆意もよく分かると思います。第二筆は下方から入った筆を入れ直して始まり、すぐにほぼ直角で右下方に転じて筆圧を加えてゆきます。意外に難しいのが内部の筆画で、角張った直線の連続として書き、ことに前半部の方向に注意する必要があります(多くの人が左下方に書いてしまうところです)。黄色の二点はこの前半部が右下方に向かうことを示しています。

「古」
第二筆が難しい。縦画部分は黄色の二点が示すようにわずかながら右下方に向かっていますが、かなり気をつけないと逆に左下方に向かいがちです。縦画部分の下端ではこころもち右下に筆を入れて角を作り、筆を閉じながら右上方へ向かい、そして曲がり角をヘアピンカーブをきしむように回って左下方へ向かいます。右上方への筆画と左下方への筆画の間の空間が非常に狭く、しかもくっきり見えるように書ければ大したものです。

「之」

概形は非常に縦長です。第二筆を三つの部分に分けると、いずれも微妙にカーブしており、第一部分は左回りに、第二部分も左回りに、第三部分は右回りに運んでいます。
第二部分が左下方に流れないように注意しましょう。

「善」
この字も概形は非常に縦長です。右上の図版は上下の部分概形によって重畳法を示したものです。青の補助線は横画の起筆部下端からの水平線ですが、この補助線と概形枠とが作る上の四角が縦長になる必要があります。起筆部は、左下方へ短く入れた筆を浮かせて右下方に打ちかえています。下部の「口」(右上図版の下の概形枠部分)は太細の変化に気をつけながら、やはりヘアピンカーブのように急激に転回します。

「書」
第一筆はすっと筆を入れて筆圧を加え、すぐ右下方へ抜いています。そこから左斜め上に向かうや、筆を入れた瞬間に右上方に筆を入れ直して第二筆を起筆します。右上部は急角度で転回し、筆圧を加えながら右回りに運び、第一筆の収筆部上を通るや筆圧を減じてゆきます。左下部では右下に運んで筆を入れ直して角張らせ、右上方に進んで、ふたたび急転回します。第二筆の左下部は第一筆起筆部の真下よりも左に出ない(垂直の補助線)ように気をつけましょう。

今回はここまでです。次回は東晉の王羲之書「十七帖」を学びます。