古碑帖の正確な見方

筒井茂徳(書法家)

第五回上「行書の名品 蘭亭序を習う」その1

2021.01.04

 今回は行書の名品として東晉の王羲之書「神龍半印本蘭亭序」を取り上げ、行書の書法の特質を探ってゆきます。行書は楷書に比べると、楷書の約束の上にさらに行書独特の約束が加わり、用筆、結構、章法いずれも自由度が高く、かつ複雑です。たとえば全文324字という小品である蘭亭序には、「之」字が全部で20回出現しますが、次に見るように用筆、結構が同一の字例は皆無なのです(出現順。図版の下は行数)。

ご覧のようにこれらの文字はすべて異なっています。そしてここに書道の表現の本質があるとも言えます。つまり書道は判で押したように書くものではないということです。ある文字の最良の字形を暗記して、いつもその記憶の通りに書くのではないのです。蘭亭序は実用的な書体である行書の作品ですからこのことがはっきり出ていますが、実は楷書でも同様で、たとえば九成宮醴泉銘には「之」字が37回現れますが、コピペをしたように全く同じ書法の作例は無く、微妙に異なっています。

もちろん楷書に比べると行書の変化は著しいものがあります。上に掲げた蘭亭序の字例でも、楷書に近いものから草書に近いものまでさまざまであり、概形はかなり横長のものからかなり縦長のものまであり、最終画の収筆部は払ったものからしっかり止めたもの、抜いたもの、次の字の方向に撥(は)ねたものまであります。

行書の書法の特徴を列挙します。今回の全図版の中から見やすい作例を一例だけ括弧内にあげておきます。
・同一字でも概形はさまざまである(上の「之」字の全作例)。
・楷書よりも曲線的な筆画を多用する(「己」)が、鋭い直線や角張った転折も併用する(「此」)。
・太細の変化の幅が大きく、縦画よりも横画の方が太くなることがある(「品」)。
・筆画を連続することがある(「和」)。
・筆画を省略することがある(「俯」)。
・逆筆を多用する(起筆部での逆筆(「一」)と筆画の連続による逆筆(「夫」)の二種類がある)。
・左半身の幅を広く、右半身の幅を狭く作ることが少なくない(「品」)。
・偏と旁の高低がさまざまである(偏が低く、旁が高くなったりする)(「俯」)。
・文字の左上部を大きく作る傾向がある(「和」)。
・文字の傾きは基本的には楷書と同様であるが、実用的な書体であるだけに書き損じて左下方に向かうことがあり、それがかえって紙面に変化と動きを与えることもある(巻頭部分図の3行目第4字「畢」)。
・楷書と筆順が異なることがある(「盛」)。
・しばしば疎密を作る(「此」)。
・筆画が流動的である分、最終画あたりで全体のバランスを取る必要がある(「品」)。
こうしたことがありますので、なんとなく頭に置いておきましょう。

次は蘭亭序の中からさまざまな基本点画が習える画数が少ない文字を拾い、拡大して半紙六字書きの形式に配列した手本です。ダウンロードして印刷することも可能です。
練習できる方は臨書してみましょう。

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 実際に練習された方は手本と練習した半紙の各文字に概形の四周枠を施し、さらに両者を見比べて気になるところに補助線を、また筆画の接続あるいは交叉するところで気になる箇所に点を書き込んでみましょう。この補助線と点はいくつ記しても構いません。このような作業をしてみると、おそらく練習している時には見えなかった両者の相違が図形上の問題として見えてくることと思います。見えさえすればしめたもので、その相違を無くするように練習を重ね、さらに概形と補助線等を書き込んでみればよいのです。
次には概形および一般的に有効な補助線等を書き込んだ図版を載せます。この図版を参考にして、自分の臨書に補助線等を書き込んでみましょう。

では、一字ずつ要点を説明してゆきます。

「一」
逆筆で起筆すると同時にわずかに右下方に引き、そこから筆圧を弱めながら直線的に右上がりに筆を運び、収筆部では右下方に押さえて左下方に小さく撥ねます。こうしてがっちりした、強い印象の「一」を表現しているわけです。

「夫」

第一画の収筆部を通る垂線は概形の左右中央よりもわずかながら左に在り、このように構成することによって右払いが長く見えることになります。第三画は前画の収筆部からの気脈の連続によって下方から逆筆で起筆します。

「己」
第一筆は直線的に、第二筆は曲線的に、太細の変化に注意して運筆します。縦の補助線は概形のほぼ左右中央にあります。

「此」

 筆順は左から始め、右に移ってゆきます。直線的な鋭い筆画を多用し、がっちりと組み立てます。横画部も決して曲線的ではありません。太細の変化にも留意しましょう。右の三本の縦画部は右下方を向いています。四縦画の間の三つの空間の広狭がポイントになります。

「之」
第二筆は右回り、左回り、左回りに運筆し、収筆部は止めたのち、右下方に筆を閉じます。

「和」
この左払いは特殊な逆筆で、左から右に筆をすべり込ませ、左回りに左上方に戻ってから左下方に払います。第二画の収筆部から続け書きに縦画に連続し、縦画の頭はおのずから逆筆になります。概形はかなり横長で、禾偏(のぎへん)の横画を左に長く張り出し、縦画を短く書く必要があります。禾偏の左上部の空間は広大(疎)であり、縦画下部は密、縦画と「口」の間はぽっかり空け(疎)て、対照的な姿に作っています。

なお章法(字配り)としては各行を縦に通すことは必要ですが、横の段は成り行きで大丈夫です。つまり横の段の高さを揃える必要はなく、むしろ多少のずれがあった方が行書や草書では自然であり、かつ紙面に動きやエネルギー感を与えます。

次回は蘭亭序本文の連続した六字を拡大して半紙六字書きに構成した次の図版を手本として学びます。

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