温泉銘(おんせんめい)

2018年8月7日

名君子として名高い唐太宗(598〜649年)は、政治のみならず学問、芸術に造詣が深く、とりわけ書に深い愛情を注ぎました。王羲之を中心に書の名蹟を集めましたが、自身も優れた書を残しています。

「温泉銘(おんせんめい)」(648年)は、「晋祠銘(しんしめい)」(646年)とならび、太宗の書を代表する傑作です。それだけではありません。それまでの碑は篆書、隷書、楷書という書体で書かれていたのに対し、初めて行書の碑が登場したのです。慣例にとらわれることのない、太宗の情熱の深さをあらわしているといえるでしょう。

温泉とは陝西省臨潼県の驪山温泉。後に玄宗皇帝が楊貴妃と過ごしたところです。太宗は北魏時代からの建物を改修して離宮とし、温泉の効能や言い伝えを書き記した碑を建てました。

 

温泉銘は唐太宗晩年の書です。それまでの(その後も)整然とした碑と比べると、なんて自由でおおらかなんでしょう! 小さいことにこだわらず、ゆったりと、のびのびと筆を運んでいます。しかも、筆の動きは奔放であるだけでなく、強さや存在感、深い味わいに富み、優れた技術に裏付けされていることがわかります。

石碑は立碑後間もなく失われてしまい、「絳帖」などの法帖に一部が覆刻されているだけでしたが、1908年、フランスのペリオが敦煌の千仏堂から、唐代の拓本を発見しました。それが現在よく知られている、フランス国立図書館所蔵の拓本です。拓の精度がいいので、筆遣いまでよくわかります。

 

さて、比田井天来は、この「温泉銘」を好み、古典の全臨集「学書筌蹄」でも取り上げました。そして大正12年に、拓本を複製して出版したのですが、その原本は、現在の姿とはちょっと異なっています。書学院に当時の紙焼きが残っていますが、明らかに別のものなのです。

 

左は、パリ国立図書館所蔵の現在の拓本写真、右は書学院に残る紙焼き(天来が発行した原本)です。なぜこんなものが書学院にあるのかって? 謎です。フランスに行く前に、日本に来たんですね、きっと。(知っている方がいらっしゃったら教えてください!)

以前はどこの出版社も、右の紙焼きから複製していたので、新しい左の写真が手に入ることがわかるや否や、狂喜乱舞、すぐにこちらを使うようになったわけです。二玄社の名品叢刊も右の写真だったと思います。

 

フランスで修復が行われたのでしょう。最後の部分。筆による書き込みまで現れました。

ところがところがところが

 

右が大正時代の拓本写真(修復前)、真ん中が現在の拓本写真(修復後)です。よくなっているはずなのに「霊」字が傷んでしまいました。なんたって唐時代のものを修復するんですから、少しぐらい壊れても仕方ないことですよね。

これではいけない、と比田井南谷は考えました。新しく傷んでしまった部分は、前の拓本で補おう! そして完成したのが左のもの。もっともよく見える部分で成り立っている「百衲本(ひゃくのうぼん)」です。1文字全体だけでなく、拓本全体にわたり、わずかな点画の一部まで詳細に編集されています。一行四字目「乃」は、古い写真と新しい写真の両方を使っているのがわかりますか? (妥協しない南谷)

そして、そうです、天来書院の新シリーズ「シリーズ書の古典」の最新刊「温泉銘・晋祠銘」では、この「百衲本」が原本になっています。しかも編者は南谷の愛弟子の高橋蒼石先生ですから、まさに最強のコンピといえるでしょう。

 

天下の名碑「温泉銘」は、いろんな人が臨書しています。いくつかご紹介しましょう。

 

大正10年に刊行を開始した、比田井天来「学書筌蹄」です。右ページの「横」は、原本は「手偏」みたいに見えますが、はっきりと「木偏」にしています。こういう臨書方法もあるんです。

 

桑原翠邦先生の半切作品。原本の、のびやかで雄大な趣がよくあらわれています。

 

上田桑鳩先生は最晩年、折帖を墨で塗りつぶし、朱墨や紅の顔料で臨書をしました。一度見たら忘れられない、強い印象を与える作品です。(上田桑鳩臨書集Ⅲ

 

唐太宗といえば、尺牘もありますね。温泉銘を彷彿とさせる独特の書です。(「懐素千字文ほか草書と狂草」より)

「昨日来体帖」と「三五日帖」。

 

桑原翠邦先生の臨書。スピード感にあふれています。

 

一つの古典にも、いろいろなストーリーがあります。そしてその古典に触発され、いろいろな表現が生まれる。これこそが書の醍醐味といえるでしょう。

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書道