カリフォルニア大学バークレー校所蔵の拓本

2018年4月24日

カリフォルニア大学バークレー校の東亜図書館に、1992点にものぼるの貴重な拓本(三井聴氷閣旧蔵)が所蔵されています。

1997年12月、父(南谷)と兄(健)といっしょに、調査の旅にでかけました。(っていうか、連れてってもらった)

 

思えばそれは結婚する1年前。私は、南谷も通った、横浜元町にあった超ハードな英会話学校(一週間5日、大量の会話を覚えてひたすら暗唱する)を3年かけて卒業し、言いたいことは英語で言えるようになっていた(聞くのは半分くらいしかわからなかった)ので、まあ、そのお祝いというか、どれだけしゃべれるかためしてやろう、といったところでしょうか。(今はまったくしゃべれません)

初めての海外旅行。初めての飛行機は雷鳴轟く嵐の中、サンフランシスコへ無事着陸。その夜はしゃぶしゃぶを食べて(アメリカだけど)ホテルに宿泊。南谷は炊飯器やら和食の食器をホテルに預けていて、「サンフランシスコの米はうまい」とかなんとか言いながら、アメリカでも和食中心の生活を送っていました。(ばらしてしまった)

翌日はオハンロン宅へ。オハンロン夫妻(アンとディック)は、南谷のアメリカでの活動で、なくてはならない大切なお友達です。詳細は比田井南谷レポートvol.14参照。

で、楽しい時間を過ごすうちに、私が一人でアンのアトリエに一週間泊めてもらうことに決まりました。(南谷と健はハリウッドにカメラレンズを買いに行った)

オハンロン夫妻が住んでいたのは、サンフランシスコ郊外のミルヴァレイ。とても広い敷地に、ご主人のディックと日本人の大工さんが二人で建てていた(進行中だった)住居やアトリエが点在していました。私が泊めてもらったアンのアトリエは、確か完成したばかりで快適この上なし。冷蔵庫にはデキャンタに入った白ワインがあって、いつも私を待っている(天国・極楽)。朝ごはん(時差ボケで、いつもお昼すぎ起床)はセルフサービスで、パンを焼いたり、冷蔵庫に入っている卵やベーコンを出して焼いたり。いつも熱いコーヒーが用意されていて、自由になんでもできました。(日本ではそうはいかない)

 

アンは、ワインを飲みながら、「この月はブルーチーズでできている」なんて言いながら絵を描いたり、美術館やクラムチャウダーが美味しいお店に連れて行ってくれたり(南谷の大好物だったらしい)、お友達を呼んでパーティーをひらいてくれたり。夢のように楽しい一週間でした。

右の写真、真ん中がアン・オハンロン(絵描きさんです)、左はそのお友達。

左の写真、この方は私に手作りのスカートをプレゼントしてくれました。ジーンズ生地に、かわいいオウムや南国の花が、皮でアップリケされてます。

 

一週間たち、父と兄が帰ってきて、いよいよカリフォルニア大学へ。(そうそう、これがブログの目的だった)

 

いっしょに調査をした小林宏光先生が、出版ダイジェストに書かれた記事です。つまり、日下部鳴鶴所蔵の拓本が三井聴氷閣にわたり、最高のものは日本に残されたけれど、その中から1292点がカリフォルニア大学へ入った、というわけです。

まずはその膨大さに驚愕。きちんとライティングをする余裕がなかったので、写真の精度はよくありませんが、いくつかご紹介しましょう。

 

衡方碑は明代初期の精拓で、趙之謙の題箋があります。

 

嵩山石闕の拓本には「漢少室石闕」という金農の題箋がついています。

 

皇甫誕碑は明初に採られたすばらしい拓本でした。

 

北斉時代の巨大文字もありました。左は岡山摩崖刻石、右は尖山刻石。一字ずつの拓本が、膨大な量残されていました。今はこの種の摩崖が注目され、天来書院でも『北朝の摩崖刻経』として発行していますが、当時すでに注目されていたのを初めて知りました。そういえば、日下部鳴鶴の「匡喆刻経頌」の臨書がありますね。

とにかく、調べきれない量の拓本やお経が保存されていました。鄭道昭の雲峰山全搨が三セットあった記憶があります。

 

きちんとした調査がされることを望まずにはいられません。

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旅行, 書道