伊都内親王願文と橘逸勢

2017年9月5日

親王願文(いとないしんのうがんもん)は、桓武天皇の第八皇女伊都内親王が、母藤原平子の遺言によって、山階寺(今の興福寺)の東院西堂に香燈読経料として墾田十六町余、荘一処、畠一町を寄進された時の願文で、行草書六十八行に書かれた巻子本。興福寺に伝えられてきましたが、明治天皇に献上され、現在は宮内庁にあります。

橘逸勢筆と伝えられていますが、あくまでも伝承です。

伊都内親王願文は不思議な書です。日本独特の書風といえるのでしょうが、これに似た書を探してみても、なかなか見つかりません。でも、本当にすばらしい書であることは、誰もが認める事実です。

伊都内親王願文

伊都内親王願文

「シリーズ書の古典」の新刊、『伊都内親王願文』の解説の中で、石原太流先生はこう書いていらっしゃいます。

「運筆のリズム感が大変豊かで、筆を自在にあやつる能力は古今に冠絶していると思う。そして格調高くすばらしい書である。」

編集の最初の打ち合わせのとき、石原先生はこうもおっしゃいました。「一字や二字で作品にするとき、伊都内親王願文はとても参考になるんですよ。」 なるほど、少字数書をお書きになる石原太流先生だからこそ言えるおことば。

 

というわけで、かっこいい(と私が思った)字をピックアップしてみました。書の作品だけではなく、色紙に一字、なんてときにも使えそうです。(ほかにもかっこいい字はたくさんあります)

さてさて、ここでちょっと寄り道を。

「伊都内親王願文」が橘逸勢の書だと言ったのは、江戸時代、大師流の藤木敦直です。「伊都内親王願文」はとても優れた書であり、空海でも嵯峨天皇でもないから、三筆の残りの一人、橘逸勢だろう、というわけ。ところがそのずっと前、平安時代に、橘逸勢について書かれた書物があるのです。『東宝記』の中に醍醐天皇の『延喜御記』が引用されており、『三十帖策子』の中に、橘逸勢の書があると書かれているのです。さて、どれだ?

 

三十帖策子 写経生が書いた部分

『三十帖策子』は空海が持ち帰った経文で、真言密教の大系を打ち立てる根本資料となった大事なもの。ほとんどは上のような、お坊さんの字です。『性霊集』によれば、帰国が間近になると時間的にも押し迫り、人を雇う金銭的な余裕もなくなり、空海自ら寝食を忘れて写経をしたとあります。そもそも空海は、予定より早く帰りたい(留学は本来20年)逸勢のために、その許可を得べく代筆してあげちゃう(『為橘学生与本国使啓』)ほどの仲でしたから、逸勢だって空海を助けて写経してあげなくちゃね。さて、どれだ?

 

三十帖策子 天来が逸勢筆とした部分

『三十帖策子』の中に突然あらわれる、写経生らしくない文字。これだ! これこそ橘逸勢だ! と言ったのは比田井天来です。拡大本三十帖策子伝橘逸勢書帖

でも、『伊都内親王願文』に似てないじゃん?

実は、似てる書があるんですよ、むふふ。

左は園城寺文書中の『円仁三聚浄戒示』 右は伊都内親王願文

どうです? ちょっと似てません? つまり、伊都内親王願文のような書風を書く人は、◯◯流のようにほかにもいたのではないか。例えば円仁のこの書のように。だから伊都内親王願文を書いたのは、橘逸勢ではなかったのではないか? このように主張したのは比田井南谷です。

ま、優れた書であることに変わりはありませんけどね。

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書道