2010年2月22日

日野俊顕先生

日野先生3.gif
2008年11月から今月まで、1年4ヶ月の間「中林梧竹の書」の連載をしてくださった日野俊顕先生が急逝されました。心からご冥福をお祈り申し上げます。




先生に初めてお目にかかったのは2006年、徳島県立文学書道館で開催された梧竹展を見に行った時です。会場に入ったとたん、びっくりしました。日野先生による心のこもった展示は、それは見事で、それまでとはまったく別の空気に包まれる想いがしたのです。
その後、五島美術館で開催された「中林梧竹展」、「中林梧竹の書」の刊行、その後も梧竹セミナーが決まると連絡をくださり、参加しました。


日野先生2.gif
これは前々回の東京セミナーのときです。榎本先生と二人、おひなさまみたい。私のぐちゃぐちゃの傘はなんなんだ。

日野先生1.gifこれは、前回の東京セミナーのときです。「仲がよさそうに写ってよかった」なんておっしゃってました。

2月6日に徳島までお見舞いに行きました。そのときにこんなことをおっしゃいました。
「こんなに親しくなったのはいつからかなあ。新潟のセミナーからだな。」
私は「???」 すると
「新潟であなたが王羲之の臨書のことを話したでしょ。梧竹は王羲之と同じになろうとしたんじゃないかって。僕もほんとはそう思っていたの。」

先生の著書『中林梧竹の書』を作らせていただいたとき、いろいろなことを考えました。
60歳代の臨書には王羲之の一部を自分流に変えようとしているような不自然さを感じ、それが70歳代になると減少し、80歳を超えるととても自由で瑞々しい臨書に変っていると感じたのです。
でもそんなこと誰も言っていないので、勇気を出して、新潟で日野先生に話してみたのです。

先生はその後、こんなふうにおっしゃいました。
「でも、僕はそんなことを言ってはいけないような気がしていたんだ。」
梧竹の会の代表として、いろいろな気遣いをなさっていたんですね。

そういえば、徳島で講演をしたとき、日野先生が私を紹介してくださったときのことばが「この人は本当のことを言う人です」。その意味がようやくわかったのでした。

短い間でしたが、本当にありがとうございました。
それにしても、日野先生のご研究が受け継がれ、さらに展開することを願ってやみません。

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