桑原翠邦先生
比田井天来門流の先生方の中で、天来のことを一番考えてくださったのは、桑原翠邦先生ではないだろうか。
これは昭和10年頃、左から翠邦先生、比田井天来、小琴、金子鴎亭先生だ。暖かい雰囲気の中に、明日にかける翠邦先生の意気込みが伝わってくるようだ。
天来は昭和14年に他界したが、翠邦先生は師の思想や作品を伝えることが先生の使命でもあるかのように、たくさんの方々に天来のことを話してくださった。本当に嬉しそうにお話になる様子を思い出すと、今でも胸が熱くなる。
私が書道出版の仕事を始めてから、それはそれはお世話になった。原稿をお願いすればすぐに送ってくださるし、推薦文もいろいろ書いてくださった。
先生の傘寿のお祝いが京王プラザホテルで開かれたとき、乾杯の発声をさせていただいたのは、私にとっては一大事件だった。このような役目は生まれて初めてだったのだ。その後もいろんなことをさせていただき、人前で話をする練習を積んだが、もっとも大きかったは桑原呂翁先生プロデュースの翠邦先生のビデオだ。
ここで先生が誰に向かって話していらっしゃるかというと、この私なのです! 今ではマイクを持つとどこでもインタビューをしてしまう私であるが、このときが初めての経験。緊張はしたけれど、なんとなくうまくいった(ような気がする)のは、やっぱり先生のお人柄のせいだろう。数えで90歳だというのに、しっかりした声でとうとうとお話をされるし、いろんなことをよく覚えていらっしゃった。そして、私がお聞きした以上のことを話してくださったから、これほど楽なインタビューはない。
作品もたくさん書いてくださった。
「天賜清福」。現在の皇太子さまご兄弟に書道ご進講をされながら、書道界とは一線を画し、名誉も求めず書に生きた先生。まさにその生涯を物語るようなことばだと思う。
先生は、このビデオ撮影の後、数日でお亡くなりになった。ご自分で身辺整理をされ、眠るように息を引き取られたとうかがった。
先生が天来のことを伝えてくださったように、私も先生のすばらしさを伝えていかなくてはと思っている。
桑原翠邦臨書集第三巻・第四巻・第五巻