2008年1月14日

伏見冲敬先生

比田井天来の門下の中で、父と親しく、もっともひんぱんに比田井家にいらしたのは伏見冲敬先生である。父は英語に翻訳するために書道史を書いていて、正確を期するために、学者である伏見先生に手伝ってもらっていたのだ。

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そこで登場するのが、このウィスキー。伏見先生も父も限りなくお酒を愛していたので、酔っ払っては議論するのが常だった。

飲み方は「ハイボール」、氷とソーダで割るのだ。きらきらと透明なその液体は、まだお酒をのめなかった私にはとても美しく見えた。

二人とも、どうしても飲みすぎてしまうので、いろいろ工夫はしたらしい。あるとき、飲む量の上限をボトルの半分にしようと決めた。ところが二人合計でその量にしたものだから甘かった。相手よりたくさん飲みたくなって、スピードがあがり、結局もう一本ということになったのだ。

親しかったといっても、気が合っていたわけではない。伏見先生は学者で父は芸術家だったから、作品の好みや芸術的解釈が異なるのだ。二人とも頑固だから、意見が分かれると、次回までにいろいろ調べて、相手を負かそうとする。その結果、書道史の本には、中国歴代の学者の説がたくさん引用されるという、すばらしい結果となった。

とくに顔真卿については、二人の見解は対立し続けた。伏見先生はあまり好きではなく、父は大好きだったからだ。二人の議論は酔うほどに白熱し、知的でエスプリが利いていて、とてもおもしろかった。

私が大学院を卒業し、伏見先生の『角川書道字典』のお手伝いに加えていただいたのは前に書いたが、本ができあがり、父が経営していた書学院出版部に入ってからも、伏見先生のお世話になった。最初に新刊のちらしを作ったときは、伏見先生のお家にうかがってアドバイスをいただいたし、なんでも先生に相談したものだ。

忘れられないのは『篆書基本叢書』シリーズ全12冊を作ったときだ。先生に監修をお願いし、「監修料は五万円でいいですか?」と言ったら、先生は目を丸くした。やばい、安すぎたか! と思ったが、先生は快く承諾してくださった。

先生といっしょにお酒を飲んで、父のように議論したかったが、先生はしばらくして脳梗塞をわずらい、お酒が飲めなくなってしまった。

先生と父のあの議論を、ビデオに撮っておけばよかったと、今になって後悔している。

 

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