2009年11月 5日
聖寿無窮-(11月の幅)
11月3日文化の日は憲法発布にちなんでの祝日、なぜか統計上晴天の日が多くて特異日とされているとか。明治の御代の空模様がどうだったのかは知らないが、この日は天長節といって天皇誕生日を祝う祝日だった。明治44年の夏、横浜の海老塚邸に滞在中の梧竹は、1年間を通じて毎月掛け替える12幅のセットをという的傳居士のもとめに応じて、いわゆる「神品12ヶ月」の幅をつくった。その11月の幅が、天長節を祝うこの「聖寿無窮」の1幅である。
いくつもの尊称でよばれた明治大帝の、書の図象による表現。格調高く威厳を備えた重厚で堂々たる4文字。もとの侍従のひとりが梧竹展会場でこの幅の前に立って「久しぶりに陛下にお目にかかった気持ちがいたします」ともらしたという。ふつうは有名な書大家といっても、生涯に1つオリジナルの書体を考案すれば合格点である。梧竹にはそんなのがいくつもある。これは梧竹楷書のうち、顔法系の帝王バージョンである。
どっしりとみなぎるようような力量感と柔らかでつややかな美しさ。ゆったりと肉太で気品あふれる点画、帝王の威厳となり、優しさとなり、茶目っ気もあったと伝えられる天皇の人間味となっている。各文字構成のメインをなす大きな横画は、ゆるやかに撓んで右方に下がって、じっくりと押さえた揺るぎなき収筆でしっかりと完結する。この1幅のテーマ、天皇のプロフィル表現のための工夫、この幅だけのために用意された横画である。そして「聖」字、文字全体の造形、結構、耳の中の2つの明るい点、壬の上の意表をついて中心をはずし墨量をおさえた小さいノ、すべて周到に用意された帝王バージョンの顔法書が、よく天皇のパーソナリティ、ご容貌の特徴を描写していて、もと侍従が発したことばがもっともだとうなずかれる。
畏れながら、天皇の収筆も右下がりだったのではないかと思われる。そしてこの書は宸筆の、とくに「聖」はお名「睦」字の、倣書ではないかと拝察する。これほどにカリスマ性のオーラをもった文字の筆者はちょっと思い浮かばない。書史でいえば、いにしえの顔真卿がいるくらいのものだろう。梧竹は少年~青年期に江戸の山内香雪のもとで唐様の書を学んだが、その唐様の学習には顔法がふくまれていただろう。維新後の長崎、北京留学時代にも、余元眉、潘存から顔真卿について指導をうけている。来る12月に開催の小城市中林梧竹記念館の梧竹展には、香雪門下20歳代の梧竹が書込みをした「蘇東坡詩集」が出品されるそうだ。梧竹書の進化を通観する1つの視点として顔法にポイントをおくとき、これらは見逃すことのできない書跡となるだろう。
参考1 「唐様」も他の書道述語と同じく定義はあいまいで確然としない。人により場合によってさまざまに使われている。もともとは、江戸時代の公用書体、御家流・和様に対して、それとはちがった中国風の書ということだったはず。北島雪山、細井廣澤から幕末の三筆と呼ばれる市河米庵、巻菱湖、貫名菘翁、ときには隠元、木庵、即非らのいわゆる墨跡や、寂厳、良寛、池大雅らの書などもふくめている。もとづくところは宋の米芾、元の趙孟頫、明の文徴明、祝允明、董其昌、さらには王羲之、虞世南、欧陽詢、褚遂良、顔真卿らの書風に及ぶなどとしているようだ。巻菱湖、貫名菘翁は晋唐派、市河米庵は明清派というような説もみかけることがある。
参考2 山内香雪(1799~1860)は会津の人。市河米庵の高弟で梧竹の師。幼時から書を好み、江戸の亀田鵬齋、大窪詩佛、のち市河米庵に入門。長崎に遊び清人江芸閣に書法を問い、江戸に帰って塾を開いた。梧竹を養嗣にと望んだが果たさず、梧竹はこの師の墓側に壽塔を営んだ。
私の調査は思うに任せないが、香雪は九州地域、あるいは鍋島系の方面に繋がりをもっていたらしい感触をもっている。
参考3 小城市米の隈、天神社の鳥居に32歳筆「菅聖廟神門銘并序」(下図参照)がある。同市牛津の乙宮社石燈籠の「献燈」銘は29歳の筆と判明した。これらはみな最近の発見で、顔法の書風を示している。
参考4 「聖寿無窮」は尊貴の方を書いた場合のエチケットとして、自分の署名はしない、関防印は捺さない(捺す場合は低く捺す)、落款印も雅号印は使用せず本名印を用いる、捺す位置も低くする、などを守っている。
どっしりとみなぎるようような力量感と柔らかでつややかな美しさ。ゆったりと肉太で気品あふれる点画、帝王の威厳となり、優しさとなり、茶目っ気もあったと伝えられる天皇の人間味となっている。各文字構成のメインをなす大きな横画は、ゆるやかに撓んで右方に下がって、じっくりと押さえた揺るぎなき収筆でしっかりと完結する。この1幅のテーマ、天皇のプロフィル表現のための工夫、この幅だけのために用意された横画である。そして「聖」字、文字全体の造形、結構、耳の中の2つの明るい点、壬の上の意表をついて中心をはずし墨量をおさえた小さいノ、すべて周到に用意された帝王バージョンの顔法書が、よく天皇のパーソナリティ、ご容貌の特徴を描写していて、もと侍従が発したことばがもっともだとうなずかれる。
畏れながら、天皇の収筆も右下がりだったのではないかと思われる。そしてこの書は宸筆の、とくに「聖」はお名「睦」字の、倣書ではないかと拝察する。これほどにカリスマ性のオーラをもった文字の筆者はちょっと思い浮かばない。書史でいえば、いにしえの顔真卿がいるくらいのものだろう。梧竹は少年~青年期に江戸の山内香雪のもとで唐様の書を学んだが、その唐様の学習には顔法がふくまれていただろう。維新後の長崎、北京留学時代にも、余元眉、潘存から顔真卿について指導をうけている。来る12月に開催の小城市中林梧竹記念館の梧竹展には、香雪門下20歳代の梧竹が書込みをした「蘇東坡詩集」が出品されるそうだ。梧竹書の進化を通観する1つの視点として顔法にポイントをおくとき、これらは見逃すことのできない書跡となるだろう。
参考1 「唐様」も他の書道述語と同じく定義はあいまいで確然としない。人により場合によってさまざまに使われている。もともとは、江戸時代の公用書体、御家流・和様に対して、それとはちがった中国風の書ということだったはず。北島雪山、細井廣澤から幕末の三筆と呼ばれる市河米庵、巻菱湖、貫名菘翁、ときには隠元、木庵、即非らのいわゆる墨跡や、寂厳、良寛、池大雅らの書などもふくめている。もとづくところは宋の米芾、元の趙孟頫、明の文徴明、祝允明、董其昌、さらには王羲之、虞世南、欧陽詢、褚遂良、顔真卿らの書風に及ぶなどとしているようだ。巻菱湖、貫名菘翁は晋唐派、市河米庵は明清派というような説もみかけることがある。
参考2 山内香雪(1799~1860)は会津の人。市河米庵の高弟で梧竹の師。幼時から書を好み、江戸の亀田鵬齋、大窪詩佛、のち市河米庵に入門。長崎に遊び清人江芸閣に書法を問い、江戸に帰って塾を開いた。梧竹を養嗣にと望んだが果たさず、梧竹はこの師の墓側に壽塔を営んだ。
私の調査は思うに任せないが、香雪は九州地域、あるいは鍋島系の方面に繋がりをもっていたらしい感触をもっている。
参考3 小城市米の隈、天神社の鳥居に32歳筆「菅聖廟神門銘并序」(下図参照)がある。同市牛津の乙宮社石燈籠の「献燈」銘は29歳の筆と判明した。これらはみな最近の発見で、顔法の書風を示している。
参考4 「聖寿無窮」は尊貴の方を書いた場合のエチケットとして、自分の署名はしない、関防印は捺さない(捺す場合は低く捺す)、落款印も雅号印は使用せず本名印を用いる、捺す位置も低くする、などを守っている。
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