破滅に瀕した12幅

1字S.jpg6月11日のブログに、「梧竹の章法は構図・構成などといった方が分かりやすい。‥‥12枚の順序を間違えたりすると章法はめちゃめちゃに破壊される。(そんな被害作が少なからず出回っている)」と書いた。時を同じくして京都からとどいた分厚い資料目録の1ページが、入梅と重なって私の気分を重くした。


梧竹屏風 最終SSSS.jpg
目録を繰ってみると、梧竹81歳の草書幅、メクリ12点があった。(メクリとは未表具の本紙だけの状態)記憶が薄れてはいるが、数十年むかし九州の某名家で拝見したものだ。あのときは6曲1双の屏風仕立てで、ご主人が2階の押入から取り出して広げてくださったものに間違いない。現状は、屏風から剥がれて12枚のメクリとなっているらしい。

ぜひ確認しておきたいが、この書作は12枚まとめて1セットの作なのだ。先月解説した章法の問題だけではない。梧竹はこの12枚すべてに、4万首を超えるという唐詩の中から「送別」の詩を選び出して書いている。心のこもった「送別」の屏風なのだ。佐賀市三瀬の「むくの木」の屏風が「新築祝い」の詩ばかりなことも思い合わされる。そんな梧竹の心遣いなど、いまでは誰も気づかないようだ。

目録の配列順も適切ではない。目録1〜6は屏風の左隻分、7〜12が右隻分とみられるから、1〜6と7〜8とを入れ替えるのがよい。章法からしてもそうあるべきだ。



右 最終.jpg左最終.jpg
交響曲を作曲するような梧竹の全体構想。展開、変化、盛り上がり。その中から1枚だけ抜き出しては、12枚ワン・セット全曲の迫真力をうかがうことはできない。1枚1枚に分割された将来、ある1枚は不作法で落ち着きに乏しい、ある1枚は盛り上がりがなく物足りない、などと本来はあり得ない的はずれの批判を受けることになりかねない。

現実にこの手の被害作は世間に出回っていて、イマイチの作と評価されることが多いのである。こんなふうに1枚1枚バラバラにして売り立てられ、跡形なく離散する悲惨な事故が、目の前で進行するのを見守るしかないという絶望的無力感。何ともやるせない思いに駆られるばかりだ。いま国は百十億余を投じて「マンガ喫茶」を造るとか。誰か一人でも離散防止のマニフェストをつくる有識の政治家はいないのか。私はこのブログに原形をとどめることで、せめてもの慰めとしたいと思う次第だ。難読の文字も多いので、詩の作者と題を記しておく。

右1 杜甫  送段功曹帰広州
  2 杜甫  渡江
  3 杜甫  水檻遣心二首
  4 戴叔倫 贈李唐山人
  5 杜甫  陪廣文遊何将軍山林十首
  6 戴叔倫 送裴明州效南朝体

左1 戴叔倫 戯留顧十一明府
  2 廬仝  新月
  3 武元衡 夏夜
  4 杜甫  寒食
  5 杜甫  月園
  6 杜甫  水檻遣心二首


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