廬山の烟雨ー「もう一つの」モデル

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比田井和子女士の、徳島県立文学書道館での梧竹展記念講演のメイン・テーマは「梧竹と王羲之」だった。その終わり近くで「もう一つの梧竹」のタイトルをあげ、金文臨書を紹介された。私にとってこのタイトルは想定外のフレッシュな視点だった。




廬山3.jpgそこからスタートして思考回路をたどっていくと、メインの草書にも「もう一つ」の草書があり、金文のほかにもいくつかの「もう一つ」の書体がある。つまり梧竹にはまだ幾つもの「もう一つ」があることが再認識された。比田井女士が「梧竹は変わるところがすごいですね」といったのも、ファイナルの着眼点は同じところだと思う。

この書も「もう一つ」のモデルの書。80歳からの大変身でも、さまざまのモデルに意欲的な取り組みをみせている。この書でもっとも特徴的なのは縦長のデフォルメだ。一字一字の分析は皆さんにお任せするが、サンズイ(7字)、雨、アメカンムリ、また到、千、恨、消、無、廬など、左頭部を大きく構える共通性をもって統一した個性的な表現が楽しい。

はかにも、行間余白の消却、章法がコントロールする文字の結構など、まだ幾つもの見どころがあるが、追々に解説したいと思っている。

廬山は烟雨 浙江は潮    到らざれば千般の恨み未だ消えず
 到り得て帰り來れば別事無し 廬山は烟雨 浙江は潮。

雲霧に煙る廬山や怒潮の浙江はみんなが行きたがる名勝だ。まだ行って見ぬうちは、行って見たいと残念に思っていたが、行って帰って来てみれば、別段なんということもない。

禅の悟りの話によく引用され、一句と四句が同文なので「首尾の詩」といわれ、蘇東坡の作とされている。廬山は江西省にある奇峰名瀑の名山、浙江は浙江省にあり、銭塘江(セントウコウ)ともいって満潮時の海瀟現象で有名。

的傳の談、横浜の海老塚邸で時間がなく使用人が磨った墨で揮毫したため墨色が悪い。

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