跳筆―折り目書法

窓.jpg「先々週のブログで人の字の線は不思議な変化をしていますね」とUさんからメールをもらった。「あれは紙の折り目でできたものです」と返信したのだが、ブログをみてくださる皆さんにも紹介したいと、今回はふたたび「高人自与山有素」の話となった。

 

 

 

 
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書き忘れるといけないので、一番始めの「高」の字について一言。真ん中のハシゴ形の部分をこんなに斜めにおいてバランスをとるのは至妙のサプライズ技。それを、イチローがホームランを打ったときみたいに、何気なくさらりと書いている。先例は王羲之と顔真卿くらいだ。そこに気づかないようなら、「きみのセンスはすこしニブイのでは」といわれても仕方がない。

さて平仮名「く」の形をした「人」の字。始めの部分は「高」からの連綿線と「人」の始筆を巧みに兼用している。梧竹連綿草書の特色の一つでもあり、わが上代かな以来伝統の日本美意識を生かした発想である。

「く」の上半、潤筆で始まった書線が中心線までくると、突然方向を変えて渇筆になる。下半でも同じく中心線あたりで「不思議な変化」をみせる。渇筆になるのは墨汁がきれたのではない。その証拠に書線はそのあと潤筆にもどっていく。よくみると、渇筆のところは筆毛1本々々の細い線がきれいにそろっていて、その細い線に墨汁がにじんでいる。単純な渇筆ではなく、潤筆のカスレとでもいえばいいだろう。

4字目「与」横画のほぼ真ん中あたりの上部に小さな凹みがある。7字目「素」の下半、平仮名「ふ」の形で、左にはらうところの書線に縦の断裂がある。「人」の書線変換点から、「与」の凹み、「素」の断裂とつなげると、画仙紙の中心線の折り目だとわかる。Uさんのいう「不思議な変化」の秘密は、筆が折り目を通過するときに生ずる書線の変化ということだった。

梧竹の多くの書に折り目がみられる。まず画仙紙の上下の中央を二つ折りに畳んでおいて、それから縦方向の中心線を折る。そのため作品の上半分と下半分が、山折りと谷折りの状態になる。どちらが上にくるかは一定してない。この書では上半「人」は山折り、下半の「与」「素」では谷折りだ。最初に折った横方向の折り目は、「与」字の縦画の、落款印下辺の高さの位置に認められる。

中心線だけでなく、上下左右を枠取りのように折ったものもある。対幅や屏風のように、何枚かの書の上下を揃えるといった形式的な必要もあっただろうが、梧竹独自の章法と密接な関係があることに注目すべきだと私は考える。そのことについては別項で述べたい。

 

 

 

 

 

 

 

 

 


 

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昭和4年に松本芳翆が、孫過庭「書譜」の終り近い部分にみえる書線の切れ目が料紙の折り目に起因することを明らかにし、画竹の節の形に似ていることから「節筆」と名付けた。その後、ヘラで引いた「うら罫」(西川寧)、孫過庭が王羲之草書の研究から意図的に使った技法(今井凌雪)などの説も発表されている。

「書譜」は二㌢角ほどの小字の稿本で、そこに現れた「節筆」は偶発的な現象とも思われる。梧竹の「折り目書法」は、60歳以後ほとんど全作品に、大字小字を問わず、コンスタントに現れる意図的なもので、「書譜」の場合とは性格を異にする。この書法に名付けるなら「跳筆」とするのが適当と考えている。

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