高人自与山有素

高人最終s.jpg79歳筆、半切1行書。高人自(おのず)から山と素(なじみ)有り。蘇東坡の詩「越州の張中舎の寿楽堂」の句。寿楽堂は越州(紹興県(しょうこう)酒の産地)にあった張希元の官舎の部屋の名。

 

 

 

高人自与山有素.jpg
詩は長いので、初めの四句だけを写す。

青山 偃蹇(えんけん)として 高人の如し  
常時 肯(あ)えて 官府に入らず      
高人 自(おのず)から 山と素(なじみ)有り   
招邀(しょうよう)を待たずして 庭戸に満つ 
  青々とした山が寝そべっている姿は 隠者のようだ
  いつもは そうそう役所なんかへはやって来ない  
  だが君(張希元)は 山と古いお付き合いだから 
  迎えに行かなくても 山のほうから庭の門までやっ
 てくるのだ

張君は山と昔なじみの友人だという。世の中が進歩?すると、自然は人間から離れてゆく。開発、ゼネコン、経済効果、眺望権、そんなものは人間のさもしい欲得から発する雑音だ。紹興の町はずれに寝そべっている臥龍山は、張君の家まで遊びに来たりする。

蘇東坡は「造物者の無尽蔵」(つきることなき宝庫)を詠う。万物の創造者は子どものように無邪気で、人間もその遊びから生まれ、自然の中で遊びたわむれることができる。自然は人間の真の快楽のみなもとで、尽きることのない宝庫だという。

佐賀大学付属図書館所蔵の小城鍋島文庫に「増刊校正王状元集註分類東坡先生詩」24冊があり、梧竹書き込みが残っている。弘化3年、嘉永3年、同4年の年紀や「三閲亦妙」の感想など、年齢でいえば20、24,25歳、若年の筆跡としても珍しい。おそらくは、江戸の山内香雪門下に留学中に藩邸の蔵書を閲読したのだろう。それにしても、藩主の蔵書印まである書物に、こんな勝手な書き込みが許されたものか不思議にも思われる。それはともかく、梧竹の自詠詩にも蘇東坡の詩を下敷きにしたものが間々見出されるなど、東坡的(あるいは道教的)な人生観にかなりな共感を抱いていたにちがいない。

東坡の詩句を書いたこの書には、自然と共生する、現代風の共生は人間の勝手な都合に合わせた共生だが、人間も自然の一部として無邪気に生きる、そんな気風の人生観が感じられる。

海老塚的傳の梧竹堂には、このような79歳筆1行書が20点ほども揃っていて、まさに壮観を呈した。

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