梨本君の秋竹画賛

梧竹.jpg徳島の梧竹展開催中で、押すな押すなの、というのは少々大袈裟だが、まんずまんずの盛況。老生もお客さまや、ほかにも諸々があってブログの原稿を錬る時間が乏しいご多忙状況である 。

 

 

 
梨本先生蔵 最終.jpg
東京・新潟から遠路もいとわずご来観くださった白井・梨本・森田の三君に、その状況を訴えたら、「あなたの慰問のために、オークションで入手した竹の画幅を持参したので、その話でも書いてはいかがか」と、国会での与野党カケヒキのような奇策?を授けられた次第。

パッと拝見した第一印象。うん、気持ちのいい幅。いつもながら葉が空をさして勢いをみせている。光と風がうつくしい。右下の広い余白、この絵では少し湿度を感じる。太い竹と細い竹をいっしょに描いたのは珍しい。自賛があるのも珍しい。賛の書風からすると75歳くらいの筆だろうか。ハンコもいろいろ捺している。関防「雲中羅漢」、落款「梧竹」の小角印、遊印「鳳凰栖処」。関防と遊印は珍しいといえる。

この程度で「ではまた来週」となれば面倒はないのだが、テキもサルモノ。「画賛には何を書いてるんでしょうね」とさりげなく切り込んで来たものだ。となればそれなりに腰をすえるしかない。字数をかぞえると、「梧竹并題」を除いて28字、7言絶句と見当がつく。韻字は最後が雲だから、上平声の12文。7字目文、14字目君としてよいだろう。

一句目から攻略開始。「臨池書罷換鵞文」。臨池はお習字、換鵞は王羲之の故事(12月4日ブログ参照)。梧竹先生黄庭経を臨書したのか、そうかもね、一同合意。
第二句。「余墨猶堪写此君」。堪はむつかしいけどこの字だ。梨本説は、此の君は竹のことだ、と所蔵者の貫禄。墨汁の残りで竹の絵が描ける、はじめからそのつもりじゃないの?事実と真実は同じではない。
第三句になって審議は空転。当初の読解では「一段□□廓前□」。こんなに□が多くては、とりあえず棚上げ、と決定。
次の第四句は楽勝ムード。「淋漓秋雨共秋雲」、異議なく可決。リンリは絵筆の墨汁か、竹を濡らす秋雨か、各人の感性にゆだねることに。
問題の第三句審議を再開。
廓とみたのは、マダレに郭ではなく朝の廟だ。廟におまいりした意(こころ)だと新説。一段の次は湘の字みたい、との提案も。すごい、
ヒント炸裂。中国古代神話にいう。帝堯(ぎょう)の二人の娘、娥皇(がこう)と女英は尭の後を継いだ舜(しゅん)の妃となった。舜が亡くなったとき、二人は哀しんで湘水(湖南省を北に貫流し洞庭湖に注ぐ)に身を投じて神となった。湘竹・斑竹は、二人が流した涙が竹の葉に落ち黄色い斑紋となったものという。
日本の湘南はかの地と風景が似ているのでそういうのだそうな。

右下の広い空間が湿っているのは、湘女の涙と洞庭湖の秋雨のせいだった。

臨池書罷換鵞文 余墨猶堪写此君
一段湘娥廓前意 淋漓秋雨共秋雲
臨池 書し罷む換鵞の文 
余墨 猶お 此の君を写すに堪えたり
一段 湘娥廓前の意
淋漓たる 秋雨 秋雲を共にす

どうやら全面合意。めでたし、めでたし。

 

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