連綿草書-その3


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眩(めくるめく)ということばを文字たちで表現したような、ハイテクをぎっしり詰め込んで、生彩あふれる一幅、「早起即事」と題する自詠詩である。伊東卓治が懐素以上といったのも、このあたりに由来するのだろう。




海老塚的傳が「打ち込む隙のない余白の美しさ」といったのは、この一幅の余白のどこかに、一個の点を打って、一幅を現在よりも美しくする余地があるかとの問いかけである。

さらにいうなら、そもそもこの一幅には、ふつう考えるような余白が存在しない。梧竹は余白といえども、不要とみれば削り取ってしまったのだ。その結果、行間にはおよそ一行分くらいの余白をおくものだが、この作では行間の余白はほとんど消失してしまったのだ。

ただ闇雲に、行と行をくっつければよいというものではない。ジグソウパズルのピースを組み立てるように、上下左右の文字との間に完璧な整合性がなければ、一幅からは喧噪な不快音を発することになる。過渡期(2月12日のブログ参照)における苦心と工夫がそこにあったのだ。梧竹の文字におけるデフォルメは、そのような必然性から、文字のおかれる場所に最適の姿形として生まれたものだ。このハイテクを私はジグソウ・マジックと名付けて、皆さんに親しまれている。

水漏沈々として滴り
小窓に碧紗を捲く
朦朧として春暁白く
微雨花を妨げず
早起即事

比較のために一幅全体の連綿線を並べてみた。一つ一つの形や角度には変化があり、まさに『梧竹堂書話』にいう「林巒一様ならず、水石余態あり」のおもしろさだ。

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